生まれ変わりを僕は信じない。
でも、生まれ変わりがあってもぼくは構わない。
生まれ変わったぼくは、
今ここにいるぼくと、全く同じではないと、
そう思っているからだ。
ブッダは「死後の世界」や「輪廻転生」ついて
決して語ることはなかったと、本で読んだ。
あらゆる意味で、徹底したリアリストだったブッダが、
「断定出来ない世界」を説くわけがないなと思った。
だから極楽も地獄も、ブッダには関係ない。
ソクラテスや孔子も、
不確かなことについては語らずだったらしい。
ニーチェの永劫回帰説。
単なる輪廻転生を説いたわけがない。
「100万回生まれ変わって、まったく同一の人生を送ることに、
君は耐えうるか」そうニーチェは問うているらしい。
100万回同じ人生を送ることと、
ただ一回の人生を送ること。
この間に差はないと思う。
だからぼくが生まれ変わりを信じないことと、
100万回の同じ人生を送る覚悟を持つことは
ほとんど同じことなのだ。
実のところ、良くはわからない。
分からないことを受け入れること。
今日、1枚の絵を描いたこと。
他にやりたいことを、少しでもやれたかどうか。
それがぼくの100万回目の人生の秋の一日なのだ。
もしくはあらゆる意味において、
たった一度しかない、ぼくの人生の一日なのだ。
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