2013年12月10日火曜日

哲学の起源

柄谷行人の本、「哲学の起源」を読んだ。

中心テーマは古代イオニア哲学。
商業経済を中心にしながら、貧富が少ないイオニアの地。
そこでは人格神ではなく「フィシス(自然)」が信仰されたという。
そしてソクラテスを含む、ソクラテス以前の哲学者に光を当てる。
イオニア哲学の思想的に大きな特徴は、
生命や宇宙は「動いた状態」だと説明したこと。

物事、物質を「静止したもの」と捉えるか。
「動いているもの」と捉えるか。

また事物の背後に「イディア」(プラトン)
「形而上学」(アリストテレス)を想定するか、
それらを退け「自然・物質・宇宙」そのものから出発するか。
この2つがイオニア的なものと、非イオニア的なものとの
分岐点になるらしい。
だから最初の「原子論」も「地動説」も
「進化論」さえ、古代イオニア哲学で生れていたとある。

アテネなど(非イオニア的)ポリス国家の直接民主主義は、
実は奴隷制の元で成立していた。

古代ローマ同様、古代ギリシャ市民の多くは農園主だった。
ずっと農園労働に従事していては、
民会と呼ばれる会議への参加が出来ない。
また古代ギリシャ軍の中心の重装歩兵は
市民によって構成されていた。
これも、農業労働の制約があると、
肝心な時に兵役に参加できなくなってしまうからだ。
だから、彼らには「奴隷制」も「植民地制」も
たぶん、当然のことで問題はなかったと考えたのだろう。

今の民主主義のシステムも基本的には、
古代ギリシャと似ていると思った。
その欠点は「多数支配」となってしまうこと。
ナチス政権だって、不正行動があったにせよ、
ドイツ議会で多数派になった訳である。
「多数」=「正しさ」には決してならないのだ。

古代イオニア哲学はイスラム・アラブの地で生き続ける。
イスラムはかつて、異教徒にも異文化にも寛大だった。
コペルニクス、ガリレオ以降の近世科学の発展や、
ダーウィンの進化論やマルクスの「交換論・経済論」、
現代の「原子論・量子論」も始まりはイオニア哲学だったようだ。

もう一度、「イオニア哲学」を問い直すこと。
柄谷行人はそう説く。

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