柄谷行人の本、「哲学の起源」を読んだ。
中心テーマは古代イオニア哲学。
商業経済を中心にしながら、貧富が少ないイオニアの地。
そこでは人格神ではなく「フィシス(自然)」が信仰されたという。
そしてソクラテスを含む、ソクラテス以前の哲学者に光を当てる。
イオニア哲学の思想的に大きな特徴は、
生命や宇宙は「動いた状態」だと説明したこと。
物事、物質を「静止したもの」と捉えるか。
「動いているもの」と捉えるか。
また事物の背後に「イディア」(プラトン)
「形而上学」(アリストテレス)を想定するか、
それらを退け「自然・物質・宇宙」そのものから出発するか。
この2つがイオニア的なものと、非イオニア的なものとの
分岐点になるらしい。
だから最初の「原子論」も「地動説」も
「進化論」さえ、古代イオニア哲学で生れていたとある。
アテネなど(非イオニア的)ポリス国家の直接民主主義は、
実は奴隷制の元で成立していた。
古代ローマ同様、古代ギリシャ市民の多くは農園主だった。
ずっと農園労働に従事していては、
民会と呼ばれる会議への参加が出来ない。
また古代ギリシャ軍の中心の重装歩兵は
市民によって構成されていた。
これも、農業労働の制約があると、
肝心な時に兵役に参加できなくなってしまうからだ。
だから、彼らには「奴隷制」も「植民地制」も
たぶん、当然のことで問題はなかったと考えたのだろう。
今の民主主義のシステムも基本的には、
古代ギリシャと似ていると思った。
その欠点は「多数支配」となってしまうこと。
ナチス政権だって、不正行動があったにせよ、
ドイツ議会で多数派になった訳である。
「多数」=「正しさ」には決してならないのだ。
古代イオニア哲学はイスラム・アラブの地で生き続ける。
イスラムはかつて、異教徒にも異文化にも寛大だった。
コペルニクス、ガリレオ以降の近世科学の発展や、
ダーウィンの進化論やマルクスの「交換論・経済論」、
現代の「原子論・量子論」も始まりはイオニア哲学だったようだ。
もう一度、「イオニア哲学」を問い直すこと。
柄谷行人はそう説く。
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