2014年1月9日木曜日

神の数式

なぜ、唯一の絶対神が生まれたのか?
それは太陽信仰と結びついていると言う。
太陽は天空に一つしか見えないから。

なぜ、太陽信仰が生まれたのか?
それは約1万年前に、氷河期が終わり農耕が始まり、
種撒きの時期を知るために暦が必要になったからだ。

でもそれだけでは不十分だ。
太陽信仰は世界各地に存在するが、
一神教は中東地域でしか生れていない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がそうだ。
砂漠地帯という地勢上の特徴と関係があるのか。

中国や日本、中南米などでは一神教にはならなかった。
太陽信仰の前は大地・地母神信仰が主流だった。
古代ギリシャ・古代ローマの多神教は、
自然の分類(天地・海・太陽・川など)や、
生産物・文明・権力(酒・鍛冶・軍事・伝令)と結びついている。
日本でも八百万の神は同じような対応を持っている。

現代の理論物理学はビッグバンの秘密に、
かなり肉薄しているらしい。
ビッグバンの秘密は「世界の始まり」を
解き明かす鍵と考えられている。
その数式は「神の数式」と呼ばれいる。

「神の数式」=唯一の原理=絶対神や一神教に結びつくのか。
なぜ「神」の名前を冠するのか。
ホーキング博士もそのような原理を
「神」と呼びたいと語っていたそうだ。
神の名前が必要なのか。

難しいことは良く分からないけれど、
物理学の世界は、仏教の世界観に近しく感じる。
現実や過去・現在・未来などの時間の概念の不確かさ。

「天国なんてないと思ってごらん。
私たちの下に地獄はなく、頭上にあるのは空だけ」
ジョン・レノンの“Imagine”だ。

「報いぞと見るは愚かの心なり。良きことにつけ、
悪しきことにも」一休

「運命」や「神の意志」には、
人間と同じような意識を持った「人格神」が想定されている。
そこには常に「目的」や「意味」が投影されている。
人は「無意味」に耐えられないからだろうか。
そもそも耐える必要などないのではないか。
私たちは、笑ったり泣いたりする。
そこに意味づけは必要なのだろうか。

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