2009年12月13日日曜日

不遇の天才

 僕のライバル。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ。
 実は弾き語りの名手だった。楽器は竪琴。

 当時の美術史家ヴァザーリはダ・ヴィンチをこう評した。
 「レオナルドは優れた吟唱詩人でもあった」と。
 イタリア・ルネッサンスについて調べていてわかった。

 ダ・ヴィンチはイヴェントのプロデューサーでもあった。
 彼の師匠、ヴェロッキオの工房は、絵画・彫刻・金銀細工
 建築・甲冑製作・部屋の装飾・服飾製作・兵器製作・楽器製作
 祭の準備等、あらゆることをこなした。
 
 主な発注者は当時のフィレンツェの実質的支配者のメディチ家。
 ヴェロッキオは、レオナルドの師として現在は知られているが、
 彫刻家として当時から大家として認められていた。

ダ・ヴィンチの有名な手稿の中に、戦車のような兵器があるのも
 当時の様子を反映している。ルネッサンスは戦争の時代でもあった。
 彼は治水や灌漑など、土木事業も得意としており、
 ダヴィンチが陣頭指揮を執った運河が、イタリアに今も残る。

 ダヴィンチは年少の頃、役人にしようとした父親が、
 ラテン語や数学の勉強をさせたが成果が上がらず、
 父はダヴィンチを役人にさせることを諦めたと言う。
 今で言う学習障害ではなかったかとの説もある。
 画家になってからの活躍を考えると、人の才能とは分からないものだ。

 その彼も、ミケランジェロやラファエロがローマ法庁で活躍した時期は
 思うような絵の注文が来なかったそうである。
 作品が優れていることと、人気は必ずしも一致しない。
 万能の天才も例外ではなかった。

 最近、僕のライバルは持ち上げられ過ぎだと思う。
 偉大な天才もただの人だったはずだ。
 「僕は不遇の天才」とブログには書いておこう。

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