「ライバルはダ・ヴィンチ。
えっ?レオナルド・ダ・ヴィンチだよ」
そう公言して10数年が経つ。
ぼくは自称‘世界で5本の指に入る画家’だが、
日本では50人にも入らない。
これは製本職人のナカちゃんの受け売りだ。
「日本の方がレベル高いんだよ!」
ナカちゃんは笑いながら、そう言い放つ。
いつもの百薬でビールを片手に。
ほとんどの画家は誇大妄想家だと思う。
絵に限らず、妄想は芸術の原点なのだろう。
けれど、どんなに愚かで傲慢な芸術家でも、
芸術には果てしない高みがあることを知っている。
本当は、どんな天才芸術家でも、
芸術そのものが持つ崇高さには及ばない。
人類が成しえた、大きな文化の厚みの中に、
一人ひとりの芸術家が存在しているだけなのだ。
ぼくがダ・ヴィンチを引き合いに出すのは、
彼もそういう大きな芸術の枠組みの中に居ること、
そして彼を「万能の天才」という肩書でくくるのは、
とてもつまらないことだと思うからだ。
ウィリアム・シェークスピアは芸術的には不毛の国だった、
16世紀の英国に忽然と現れた。
戯曲「真夏の夜の夢」は1595年、
シェイクスピア31歳の時の作とされる。
「ロミオとジュリエット」も同年作である。
バッハの多くの曲は、
すべて彼のオリジナルではなく、
当時存在したメロディを対位法や
その他の工夫により、
より高次な楽曲になったとされている。
シェイクスピアの戯曲も、
元から在ったお話を彼の独創によって
再創造された作品だとされている。
ダ・ヴィンチの絵画も、
当時のイタリア・ルネッサンスの影響なしには
存在しなかった。
けれど、「モナ・リザ」等に描かれた背景の風景、
あのような表現は以前になかったものだ。
彼らの時代、彼らの国では
現代の熱帯夜などなかったことだろう。
それでも暑かった日の夜に、
彼らはそれぞれの夢を描いたのだろう。
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