2011年2月10日木曜日

善悪の彼岸

 犯人捜しと流行への雪崩現象。
 この二つが気になっている。

 ついこの前までマスコミは
 小沢元民主党党首の強制起訴のニュース一色だった。
 今は大相撲の八百長ニュース一色だ。
 ちょっと前までは海老蔵一色だったのに。

 マスコミは犯人捜しに躍起になっている。 
 そして自分は告発者、つまり正義の味方を演じている。
 沖縄の基地問題も、尖閣諸島問題も何をどうすればいいのか
 それを真剣に論じたりしないように思われる。

 大切なのは「誰が悪いか」という犯人捜しなのだ。
 一つの犯人捜しが始まると、それは飽きるまで繰り返される。

 誰もが真相究明に熱意を持たない。
 問題点を洗い出し、解決方法を地道に求めたりはしない。
 まるで弁護人がいない裁判みたいだ。

 犯人さえ定めれば自分は正義で安全だと思っているようだ。

 ある新聞に回虫先生で有名な医学博士が書いていた。
 潔癖性が行き過ぎてアトピーや花粉症が増えたのではないかと。

 今の日本は善悪を簡単に分けすぎてはいないかと。
 善玉コレステロールと悪玉は簡単に分けていいのかと。
 体臭は個別性を示し、フェロモンを刺激するのに
 消臭に躍起になって、匂いを差別対象にしていないかと。
 
 我が意を得たり。そう思った。
 新聞でもテレビでも、
 ちょっと前のような識者の意見が見られなくなった。
 賛成意見と反対意見の併記が見られなくなった。
 善悪の色分けが単純で乱暴になってきたのだ。

 コメンテーターと称される人は、
 「空気を読み」犯人捜しに異を唱えることは少ない。
 
 超訳「ニーチェの言葉」マイケル・サンデルの「正義の話をしよう」
 の二冊が共に書店で売れているらしい。
 どちらも哲学を扱った内容である

 哲学の基本は「常識」を疑うことにある。
 日本が「善悪の彼岸」を超えて
 より成熟した思考の国民になるといいなと願う。 

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