立春の昨日は暖かかった。
天気図は冬型から春型へ変わったと言う。
実家のある新潟を含む豪雪地帯に住む人たちは
胸を撫で下ろしていることだろう。
二、三日前から朝の富士山が霞んで見えなくなった。
花粉飛翔が活発になって、目鼻の具合が良くない。
紅梅・白梅・蝋梅をよく目にする。
春の兆しははっきりと現れている。
今年になって始めた英文入りの絵日記。
何とか一ヶ月は描き続けた。
最初は英文も短く、絵も略画だった。
日を追う毎に英文は長くなる。
絵も少し凝ったものに変わった。
もっとシンプルにとは思う。
仕事が始まると同じような日常の繰り返し。
取り立てて書くような内容も無くなっていく。
けれど、そのような全くの平凡な日常を描くこと。
そこには意味というか何かの気づきがありそうだ。
自分のこと自分の日常。
何となく過ごしているので、
無自覚に感じ考え、行動している。
周りの人を見渡すと、
ちょっと自覚すればもっと良い方向へ変われるのにと思う。
そう言っても人ではなく自分を対象に研究し
自分のことや自分の日常に気付くことは難しい。
絵日記がその気づきのきっかけになるかもしれない。
清少納言の「枕草子」が素晴らしいのは、
ありふれた日常や自然の変化を
「いとおかし」こととして観察していることだろう。
「我々は我々に知られていない」ニーチェ
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