2011年7月12日火曜日

生きていく風景

ビッグイシューの連載コラム。
「自閉症の僕が生きていく風景」
筆者は東田直樹。

このコラムを読むようになって、
自閉症の人が抱える悩みや、
彼らの言動に対する無理解が
自分の中に強く在ったことを理解した。

電車の中で喋り続けたり、
奇声を上げたりするのは意志によるものではなく
むしろ、彼らの身体的・精神的な特徴によるものだと知った。
だから止めたくても止められないのだと。

第32回のタイトルに
「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とある。

僕はかつて付き合いのあった人に、
あなたは時々精神的障害のある人に見える
と言われたことがあった。
電車の中で常識では考えられない言動をしているのだと
そう言われた。

思い当たるところがあった。
昔から堅苦しい儀式が苦手で
奇声を上げたい気持ちを抑えていた。
訳もなく暴れたくなったり、
奇行をしようとするイメージが沸く。
今でもほぼ毎日そうだ。

実際には抑えられる訳だから、
自閉症の人とは違うし、
その苦しみは想像でしか分からない。

「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とは違うのだが、
人と同じようにそれらに惹かれる感覚はある。

人間絶対主義の人と話すと間違いなく変人と見られる。
いや確かに変人かも知れないが、
人間絶対主義傾向の人も単に自己愛が強いだけだったりする。
要するに「自分という人間を絶対分かって欲しい」
人間絶対主義なのだ。

男と女は随分と違う。
男同士、女同士でもそれぞれが違っている。

自閉症の人も、そうでない人も、その中間に居る人も
それぞれが問題を抱えている。
問題の多くは脳が勝手に創り出している。
僕らはそれに日々振り回されている。

生きていく風景はそれぞれが異なっている。
異なっていることを異なっているものとして
受け入れられたらいいな。
自分を許すように人のことを許せたらいいな。
そんなことを思ったりする。
許すも許さないも無いんだけどね。
本当はね。

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