「ここではないどこかへ」
芝居の「ごあいさつ」で鴻上尚史はそう書いていた。
8月20日土曜日の夜7時。
鴻上主宰の虚構の劇団に友人の大高が出演していた。
「天使は瞳を閉じて」
20年振りの再演だろうか。
第三舞台じゃないから、再演とは言わないのかな。
鴻上は当時、原爆による崩壊後の世界をよく描いていた。
「天使は瞳を閉じて」はそれが原発事故後の世界に変わっていた。
天使と人間になった天使と、人間の話。
かつての記憶が甦ってきた。
街と外を遮断する「透明な壁」。人々の生活を見つめる天使。
壁の外への強い憧れ。謎の薬「コーマエンジェル」
為政者とマスコミの癒着。壁を壊す取り組み。
そしてついに壁は崩壊する。
ベルリンの壁の崩壊の時期だったかもしれない。
鴻上氏は今でも夜中に「どこか」へ行きたくなり
街をあてもなく徘徊するそうだ。
「ここではないどこかへ」
まるで「オズの魔法使い」のドロシーみたいだ。
「虹を越えて」は名曲だった。
旅の果てに訪れたのは、かつての故郷だった。
「ここではないどこかへ」の憧れはかつてあった。
だから東京に出てきたのだし、今でも住んでいる。
新潟の片貝町の同級生は町外の仲間を「旅人」と言う。
20代の頃は海外で生活することを夢見たりした。
今では海外移住どころか、海外旅行も面倒くさい。
「ここではないどこかへ」へ出掛けて何か見つかるのだろうか。
見つかるかもしれない。でも自分の役割ではないように思うのだ。
自分が探し求めるものは「いまここに」あるのではないか。
足下にあるのに見えていないだけなのではないか。
すでに見えているのに、意識と感覚が及んでないだけではないか。
「ここではないどこかへ」も「いまここ」も比喩にしか過ぎない。
探したり求めたりする必要さえないのかもしれない。
何かを求めるのは単に迷っているだけなのかもしれない。
そうして、今日もじたばたと生きる。
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