2011年9月8日木曜日

天使は瞳を閉じて

「ここではないどこかへ」
芝居の「ごあいさつ」で鴻上尚史はそう書いていた。

8月20日土曜日の夜7時。
鴻上主宰の虚構の劇団に友人の大高が出演していた。
「天使は瞳を閉じて」
20年振りの再演だろうか。
第三舞台じゃないから、再演とは言わないのかな。

鴻上は当時、原爆による崩壊後の世界をよく描いていた。
「天使は瞳を閉じて」はそれが原発事故後の世界に変わっていた。
天使と人間になった天使と、人間の話。

かつての記憶が甦ってきた。
街と外を遮断する「透明な壁」。人々の生活を見つめる天使。
壁の外への強い憧れ。謎の薬「コーマエンジェル」
為政者とマスコミの癒着。壁を壊す取り組み。
そしてついに壁は崩壊する。
ベルリンの壁の崩壊の時期だったかもしれない。

鴻上氏は今でも夜中に「どこか」へ行きたくなり
街をあてもなく徘徊するそうだ。
「ここではないどこかへ」
まるで「オズの魔法使い」のドロシーみたいだ。
「虹を越えて」は名曲だった。
旅の果てに訪れたのは、かつての故郷だった。

「ここではないどこかへ」の憧れはかつてあった。
だから東京に出てきたのだし、今でも住んでいる。
新潟の片貝町の同級生は町外の仲間を「旅人」と言う。

20代の頃は海外で生活することを夢見たりした。
今では海外移住どころか、海外旅行も面倒くさい。
「ここではないどこかへ」へ出掛けて何か見つかるのだろうか。
見つかるかもしれない。でも自分の役割ではないように思うのだ。

自分が探し求めるものは「いまここに」あるのではないか。
足下にあるのに見えていないだけなのではないか。
すでに見えているのに、意識と感覚が及んでないだけではないか。

「ここではないどこかへ」も「いまここ」も比喩にしか過ぎない。
探したり求めたりする必要さえないのかもしれない。
何かを求めるのは単に迷っているだけなのかもしれない。
そうして、今日もじたばたと生きる。

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