2011年3月10日木曜日

センスがない

 「よしいはセンスがねえてがんに、 
 絵を描いてるんだ、ごーぎ(偉い)らや」
 豆腐屋の清人がよく言うセリフである。

 オレも清人に
 「おめらって音楽のセンスがねえてがんに
 続けてるんだごーぎらや」と言いたいのだが
 奴には音楽のセンスがある。特に奴のギターは凄い。
 歌がオンチなのはご愛敬だが・・・。

 清人は絵も下手くそだ。
 だから「オメに言われたねーや」ぐらいは言い返す。

 しかし先日、美術指導のある講習に参加した。
 そこでコラージュ指導のレクチャーを受け
 参加者は生徒になって制作をした。

 コラージュ制作久しぶりで、喜々として制作した。
 しかし、素材として用意された雑誌の中に
 蒼井優を見つけてしまった。
 そうしたら蒼井優が主題の中心になってしまった。

 それでも20分ほど楽しんで制作。
 完成作を集めて講評会。参加者は20数名か。
 
 みんな上手い。
 指導者を集めての講習会だから、皆美術のプロ。
 上手くて当たり前かもしれないが、
 描画と違ってコラージュのような構成の方が、
 作り手のセンスが問われる部分が大きいと思う。

 わが作品は残念ながら、センスがない。
 写真や様々な布、アルミやボタンや糸くずなど。 
 つまりある造形的な意図を持って
 素材を生かせるかどうか、そこに作者のセンスが現れる。

 清人が言ってた通りだ。
 オレにはセンスがない。
 
 因みにピカソはお世辞にも色彩センスは良くない。
 だからカラリスト(色彩家)だったマチスを尊敬した。
 けれど、ピカソには形態や面、量感について、
 他の追随を許さない、圧倒的な感覚があったと思う。

 オレには造形的なセンスが無い。
 それを自覚出来たことが、一番の収穫だった。

 日本は古くは中国や朝鮮に憧れ、
 近代になってからは西洋に憧れ、
 見よう見まねで追いつき追い越せと努力を重ねた。

 自分を一番だと自覚した時に凋落は始まる。
 永遠の憧れを胸に抱いた者だけが、
 明日を創造できるのだと思う。

 だからオラも明日へ向かって、精進するのだと
 ブログには書いておこう。

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