母方の祖母風間サイが亡くなった。
101歳だった。
あと一ヶ月すれば102歳の誕生日だった。
正月に帰省した時に祖母を見舞った。
起きている時は母の声に頷いたり、
言葉にならない声を囁くように発していた。
血や体液が上手く循環しなくなり、
両足が浮腫んでいた。
必死に呼吸している祖母を見ながら
もう頑張らなくて良いよと心の中で呟いた。
だから訃報が母から届いた時に、
悲しいよりもホッとした。
喪主の挨拶で叔父がこう言っていた。
「私は母が人の悪口を言っているのを聞いたことがない」と。
97歳で庭で転倒し、入院するまで
冬は積雪が4mを超える北魚沼守門村で独り暮らした。
5人の子どもが代わるがわる訪ね、
向かいに弟家族が住んでいて助けられていたとはいえ、
なまじの体力、精神力ではないなと
我が祖母ながら感心していた。
偉大な人だったなと思っている。
自己抑制のとても強い人だった。
感情を露わにするのを見たことがない。
日常を淡々と噛みしめるように生活していた。
60歳を過ぎて短歌を始め、
郷里の歌人宮柊二が主催する「コスモスの会」で作歌に励んでいた。
86歳で歌集を纏める決意をして
「雪の断面」を編纂・発行した。
面立ちは晩年次第に「良寛和尚」に似ていった。
国宝「百済観音」のあの面立ちと共通している。
百済人の末裔ではないかと想像している。
「雪割れば土より立ちて湯気白し卯月半ばを春の陽ざしに」
風間サイ -「雪の断面」老ひとりの死より-
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