二月は逃げる。
油断していると、直ぐに過ぎ去る。
「人生は短く、芸術は長し」。
古代ギリシャの言葉だが、
元は「技術は長し」だったらしい。
江戸の人々は良く遊んだ。
遊びの良いところは、
「何かのため」ではないところだろう。
江戸初期の画家、久隅守景の「夕顔棚納涼図」。
ふんどし姿の親父と腰巻き姿の女房と傍らの息子。
夏の夕暮れに、夕顔棚の下で茣蓙を敷いて涼んでいる。
空には満月。
以前「美の巨人」でも紹介されていた、国宝の水墨画である。
月を愛で、夕顔を愛で、夏の夕暮れの風を愛でる。
ささやかな会話を楽しむ。
話なんかしなくてもいいかも知れない。
巨匠スタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」。
雪に閉ざされた山の中の高級ホテル。
冬の間は閉鎖されている、そのホテルに管理人一家が過ごす。
小説家を志す管理人の男性は、次第に心を病んでゆく。
それでも彼は広いロビーの真ん中で、一心に小説を書き続ける。
ある日妻が書きかけの原稿を目にして、恐怖におののく。
ALL WORKS NO PLAY MAKES JACK A DULL BOY.
「仕事(勉強)ばかりで遊ばない、ジャックはダメな少年になる」
山のように積まれた原稿には、すべて同じ文章が書かれていた。
英文は英語のことわざである。
日本語では「よく遊び、よく学べ」となるが、
ちょっとニュアンスが異なる。
老齢になって外国語や、新しい学問を学ぶ人がいる。
人生の晩年に差し掛かって新しい試みをする人を、
揶揄する人も居る。「何の役にも立たない」と。
勉強と違い、学問は遊びである。
そこには「知る楽しみ」があるだけで、
役に立つ、立たないは意味がない。
尊敬する先輩に、先日ばったり会った。
先輩は早々と仕事を退職し、大学の市民講座を聴講している。
「よしいさん、マルクスの経済学は
アリストテレスから来ているのですよ」。
いきなりの高水準な話に、ついてゆくこともままならない。
だが先輩を見ていると、「学ぶ人は遊び、遊ぶ人は学ぶ」
と言う考えが頭に浮かぶ。
それは対価と報酬を要求する労働や勉強とは真逆である。
僕は「よく遊び、よく遊ぶ」。
0 件のコメント:
コメントを投稿