2010年2月10日水曜日

へうげもの

 一昨日見た、NHK歴史番組「ヒストリア」。
 「へうげもの」と言うタイトルで、
 茶人古田織部を特集していた。
 
 「へうげもの」は「ひょうげもの」と読み、
 「ひょうきん者」を意味するらしい。
 しかし今日の「ひょうきん者」とはいささか違うようだ。

 茶の湯には疎い僕であるが、茶の湯の世界が、
 世界中の何処の国と比べても、
 独自な日本の美意識を創り上げたように思う。

 焼き物の形は、世界中のほとんどで左右対称、
 あるいは均整のとれた形を基本としている。
 中国北宋時代の青磁など、正に完璧な形、
 バランス、色、地肌を追求している。
 
 中国、朝鮮半島を師に持ちながら、
 日本は不完全なもの、非対称なもの、
 あるいは滅びゆくものを愛おしむ感性を育んだ。
 その中心的な役割を果たしたのが茶の湯ではなかったか。

 利休が依頼し、それに応えた楽焼き茶碗は
 柔らかくやや脆い印象の造形が、はかなさを現している。
 それこそが「侘び寂び」と言うことなのだろう。

 それに対して、織部焼きの美学は正に破天荒な感じだ。
 他国に見られない、多様な器の形はこの時期に生まれたのだ。
 それらは、日本の戦国武将の強烈な美意識を体現している。

 日本文化は西欧と比べても、よほど柔軟で多様なのではないか。
 少なくても安土桃山時代までの西洋との文明、文化の差は
 さほど無かったと、西洋史の松田智雄氏は著書に書いている。
 それは当時の西欧少年使節団の記録にも残こされていると言う。

 「へうげもの」を貫き、権力者家康に異を唱えた織部は、
 最後に切腹させられ、家は断絶させられた。

 それでも織部は死を前にして、
 「特別何も言うべき事はない」と記している。
 とても敵うものではないが、
 その潔さに学びたい。 
 

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