2010年7月8日木曜日

諸行無常の響き

(友人のI氏からのメールが
 大変面白かったので、ここに掲載します。
 勿論、I氏の了解済みです。)

音楽を使って、実験してみることができる、と気がつきました。

近代以降は、レコードだの何だのと、録音技術があるので、
音楽は記録できるのだという「錯覚」が定着していますが、
その技術がなかった頃は、そういう錯覚の持ちようもなく、
人は、音楽・楽曲について、
けっこう「実相」に近い受け止め方をしていたのではないでしょうか。

で、現代でも、録音などしないでいることは可能ですから、
実際に楽曲を演奏してみて、その実相を見ることができるわけです。

音楽のすごいところは、
「なにも残らない」ということが確かめられることです。

もちろん、音楽だろうがなんだろうが、
何かが残る、などということは起こっていないのですが、
音楽以外は、それを実感するのがむづかしいわけです。

絵を描けば、その「絵」が目の前にちゃんと存在して、
いつまでも(まあ、数年、数十年ぐらいでも)残っている、
というように感じてしまうでしょう。

なにかの曲を弾いてみて、
それが、弾くそばから消えてしまうのを確かめるのは、
そんなにむづかしいことではありません。

で、それを観たうえで、
でも、この曲は確かにあった、というふうに思える、
それはどういうことだろう、
心は、何をやっているのだろう、
と考えてみるのは、とてもいいことだと思います。

ビートルズの、Come Together という曲は、「存在」しているのか?
それはどこに「在る」のか?

自分、とか、人生、とか、時代、とか、
そういうものに対する錯覚も、そこから見えてくるかも知れません。

というわけで、相変わらずのヒマ談義でした。

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