目が覚めたら雨の音がした。
外は明るく雨模様ではない。
カーテンを開けて空を見上げた。
ぼんやりと虹が架かっていた。
久しぶりの虹を眺めながら、
以前のI氏のメールを思い出した。
このブログにも掲載した「音楽について」である。
目の前で演奏された音楽は、
確かにそこに在ったと思われるし、
断片的に思い出すことも出来るのだが、
もうそこには存在しない。永遠に。
目の前の虹は、そもそも存在しているのだろうか。
見えている間は在るとも言えるのだが、
光の反射に過ぎない虹は手に触れることも出来ない。
まるで幻のような存在だ。
しかし我々の目に映る全てのものは、
やはり光の反射に過ぎないではないか。
確かに手に触れたり、匂いを嗅いだり、
食べ物なら口に入れて舌触りを確かめて味わうことだって可能だ。
数年前に見たエリック・クラプトンのコンサート。
満員の武道館でのアンコール曲。
イントロを聴いても、何の曲か分からない。
クラプトンの歌が始まる。'Over The Rainbow'だった。
「いつの日か、虹を越えて。空は青い・・・」。
美しく切ない、大人のための童謡のように感じた。
実体がまだ存在していようがいまいが、
過去に起きたことのみならず、目の前の世界も
頭が創り出した物語に過ぎないのではないか。
私たち自身が幻のような存在ではないか。
それでも私たちは夢見ることを止めたりはしない。
Rain(雨の)Bow(弓)。
半弧を描く朝の虹を眺めながら
そんなことを考えた。
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