2010年8月24日火曜日

守門村(晩夏Ⅲ)

 実家から10数キロ離れた処に
 堀之内町がある。
 現在は合併して北魚沼市だと思う。

 今年の正月まで百人一首を諳んじていた
 101歳になる祖母が堀之内病院に居る。
 冬に肺炎を患い、大事には至らなかったが
 それからずっと入院生活である。

 3月に見舞いに行った時はずっと寝たきりだった。
 会いに行っても意識が定かではないかもしれないと
 半ば諦めて出掛けた。

 丁度お昼前で、看護士さんが食堂へ
 祖母を連れて行こうとしたところだった。
 車椅子に乗せられた祖母は、
 母や僕が話しかけてもあまり反応が無かった。

 食堂に祖母の席があった。
 沢山のお年寄りが集まっていたが、
 ほとんどの人が眠っていた。
 中にはベッドに寝たきりのまま
 食堂に連れられていた。

 驚いたことに祖母は目の前のお茶を自分で飲み始めた。
 飲み物は気管に入るといけないのでゼリー状だった。
 祖母は茶碗に入ったお茶を左手にしっかりと抱え、
 右手でスプーンを使って口に運んだ。
 口に入ったお茶を顔全体の筋肉を総動員して
 租借していた。

 食べ物は全てお粥状になっていた。
 祖母は毎食時間を掛けて全てたいらげるという。
 一つひとつの食べ物を真剣に食べる祖母を見て
 生きることの凄さ、偉大さ、大変さを
 いっぺんに感じた。
 自分の祖母ながら凄い人だと思った。

 空き家なって数年になる祖母の家を訪ね、
 母の実家のお墓参りをした。
 北魚沼市須原。旧守門村。
 今でも冬は3mの大雪が降る。

 そんな厳冬の地で
 祖母は96歳になるまで独り暮らしをしていた。
 目の前に暮らす弟家族や、
 代わるがわる訪れる子どもたちに支えられてだが、
 基本的な生活は全て自分でこなしていた。

 雪に閉ざされ、美しいけれどとても厳しい
 そういう風土が越後の人を育んできたのだ。
 そう思った。 

 JR只見線に沿うように流れる魚野川は
 かつて深いターコイズブルーだった。

 *続く

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