2010年9月10日金曜日

仏教が好き

 以前買った雑誌PENの特集「キリスト教とは何か」。
 聖書について、教会について、宗派の違いについて
 キリスト教文化について分かり易く書いてある。

 僕は美術の世界からキリスト教に関心を持った。
 たぶん、同じ時期にニーチェとマルクスを読み
 それらの背後にキリスト教があることを漠然と知った。

 ニーチェやユング、ボルヘスやカフカを読んだり
 フェルメールやセザンヌ、ニューマンなどの絵画を見ても
 キリスト教とその文化の影響を考えない訳にはいかない。
 彼らの文化にはキリスト教の思想が深く入り込んでいるし、
 近代を受け入れた我々の文化にもそれらは入り込んでいる。 

 今、読みかけの本「仏教が好き」。
 中沢新一と河合隼雄の対談集だ。
 これは仏教についての本であると同時に
 比較宗教の本でもある。

 河合隼雄の本はI氏を通じて随分読んだ。
 ユングを読んだ後で、対談集が主だった。
 中沢新一はニューアカブームの頃
 「チベットのモーツアルト」を途中で断念した後
 ずっと縁がなかった。

 南方熊楠への関心から「森のバロック」を読み
 これは凄い人なんだなと思い、
 「僕の叔父さん網野善彦」を読んで親近感を持った。

 デカルト的に空間や量を均質に見つめ、
 何処までも個別的に分析をする西洋近代主義の行き詰まりと
 仏教の持つ「合理性」や「相対性」を
 比較検討しているところが面白い。
 勿論、キリスト教やイスラム教の長所を認めながらである。

 僕には前世という概念が解らない。
 僕は生命が誕生してから35億年、
 受け継がれてきた生命のリレイヤーだと思っているからだ。
 姓名判断も理解できない。
 星占いは良く見るが根拠は理解できない。
 易を共時性の現れとするユングの考えは少し解る。 
 意味のある偶然の一致として見る考えである。

 占いのほとんどは個人の欲望に基づいているのではないか。
 僕は欲望を否定する者ではない、むしろ肯定派だ。
 だけどオカルト的なものが持つ馬鹿みたいな合理主義
 ご都合主義が嫌いだ。

 僕は神秘主義を否定する者ではない。
 本当の神秘主義はオカルト的なものと対極にある
 そう思っているからだ。

 まあ神秘主義もカルマもヘメレケソなのだろう。
 仏教の優れたところは
 全てを心の現れでしかないと言いながら、
 その心も自分という存在も妄想だと言うところだろう。
 ヘメレケソ。

 「世界の中に神秘はない。
 世界が在ることが神秘だ」。
 ヴィトゲンシュタイン

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