2010年6月20日日曜日

のん気に生きるぞ!

 郷里の秋季大祭、片貝祭。
 今では、世界一の四尺玉を始め
 花火の祭の祭としてすっかり有名になってしまった。

 昔は定番のお囃子ひとつ「のんきな父さん」が
 かからなくなった。

 「のんきな父さん、お馬のお稽古
 お馬が走り出して止まらない。
 子どもが面白がって、父さん何処行くの?
 わたしゃ知らないお馬に聞いとくれ。
 はは、のん気だね。」 

 山車を牽きながら、お囃子に合わせて
 大きな声で歌いながら練り歩いた。
 昔は観光客も、近郷の者に限られていた。
 今や、東京などから観光バスが来る。 
 
 長閑(のどか)さが失われて、当然なのだろう。
 長閑さは、日本中の至る所で失われているのだろうか。

 「等閑視」(とうかんし)と言う言葉がある。
 好きな言葉だ。
 「等く長閑に視る」。
 辞書を引くと「いいかげんに考えること」など
 良い意味ではないらしい。

 僕の解釈はこうである。
 物事と自分と適切な距離を持って、
 出来るだけ客観的に眺めること。
 同時に、一つの狭い見方に収斂しないで、
 様々な観点から視ることをイメージする。

 「のん気に生きるぞ!」は雑誌ビッグイシューに
 コラムを連載している雨宮かりんの言葉である。
 ある独立系のメーデーのデモ行進で
 シュプレヒコールとして用いたら「うけた」とあった。

 「のん気に生きる。のん気に行く」。
 これは一つの指標ではないか。
 のん気でない今の時代へのアンチテーゼではないか。

 まあそんなに力まないで、
 ここはひとつ「のん気」にいきましょう。
 

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