2010年6月29日火曜日

ぼくらはみなひとりぼっちだ。でも孤独なんかじゃない。

 村上春樹の1Q84・BOOK3を読んだ。
 
 知り合いのハルキマニアの女性は
 気に入ったとおっしゃった。
 「BOOK1・2で、分からなかったことが、
 よく分かった」と。

 僕は、正反対の感想だ。
 1と2で象徴的だった表現が、3で説明的になったと。
 1と2で語られた謎を解くために3を書いたようだと。
 
 ピカソと自ら別れた唯一の女性、
 フランソワーズ・ジロー。
 彼女は存命で、ニューヨークで画家として暮らしている。
 二人の憎愛劇はジローの著作でも知られる。

 僕は数年前にその本を元にした映画を観た。
 アンソニー・ホプキンスがピカソを好演していた。

 最近のインタビューにジローはこう答えている。
 「ピカソから離れたのは、彼のことが分かったから。
 彼の神秘性が消えたから、興味が持てなくなった」と。

 残酷だが正確な言葉だなと思った。
 芸術も恋愛も強い妄想・幻想を必要とする。
 妄想や幻想が謎であればあるほど惹かれることがある。
 謎が消えること。それは手品のネタばらしだ。

 優れた芸術ほど、汲みせぬ謎がある。
 私たちがモナリザに惹かれるのは、分かるからではない。
 謎がいつまでも消えないからだ。

 芸術よりも恋愛が醒めやすいのは、謎がばれ易いからだろう。
 
 BOOK3は僕にはネタばらしに感じられた。
 個人的にはとても残念だった。
 でもいい加減な僕である。
 後で読み直してこれは良いなどと言いかねない。

 BOOK3のある章に、ぼくのブログのフロントページの
 「ぼくらはみなひとりぼっちだ。でも孤独なんかじゃない」と
 ほとんど同じ言葉がタイトルとして使われていた。

 僕の詩「黒い人」に、春樹氏のフレーズを
 一カ所だが引用している。
 春樹氏も僕のブログのフロントページにある
 この言葉を引用したのかも知れない。まさか。
 たぶん、同じことを思いついたのだろう。
 どちらも大差はないが。

 「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」
 世阿弥 「風姿花伝」より 

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