2010年11月5日金曜日

へうげもの

 戦国武将で誰が好きか?

 そう知人に尋ねられたことがある。
 彼は上杉謙信と答えた。
 「よっちゃんは?」。そう聞かれて初めて考えた。

 そして出た答えは千利休だった。
 利休は武将ではない。
 魚屋の息子で、堺の商人だった。
 だから知人の質問の答えにはなっていない。

 それでも戦国時代を生き抜いた人物として
 誰よりも利休に惹かれる。
 彼は「侘び茶」と言う「茶の湯」の世界を完成し
 近世以降の日本の文化に大きく影響を与えた。

 そういう強烈な美意識と精神世界を持っていながら、
 権力者に近づきその中枢に坐り、自らも権力を行使する。
 一方で茶道具で金儲けもする俗物の塊のような側面を持つ。
 そういう相反する振幅の大きさが好きだ。
 
 織田信長に仕え、後に豊臣秀吉の茶頭となる。
 「へうげもの」は利休の後継者とも云われる
 古田織部が主人公の漫画だが、
 織部と利休とのやり取りが面白い。
 利休と楽茶碗の創始者、長次郎とのやり取りが面白い。
 利休と秀吉のやり取りが面白い。
 
 利休は古くから日本にあった「見立て」を重視する。
 中国のもの、朝鮮のもの、あるいはベトナムや西洋のもの
 様々なものを本来とは違う形で
 茶の湯の道具として「見立て」るのである。

 また「完璧なもの」ばかりでなく「不完全な美」を愛した。
 だから市井の中に在りながら、
 まるで山中で隠遁している印象の茶室をデザインした。

 中国の「完全な美」を追求する精神に対して、
 「不完全さ」の中に移りゆく美を求めた。
 それこそが「侘び」と呼ばれるものではないか。

 そのことは長次郎にアドバイスした思われる
 黒楽茶碗にも現れている。
 手捻りで低温度で焼成された楽茶碗は見た目にも、
 脆そうで、わずかだが形が歪ませている。
 
 見事に咲いた朝顔を見たいと訪れた秀吉に対し、
 庭の全ての朝顔をむしり取って迎えた。
 呆然と茶室に入った秀吉が目にしたのは、
 床の間に飾られた、一輪の朝顔だったと云う。

 一昨年の夏だったろうか。
 国立博物館で行われていた、
 「対決・日本の美術」展では長次郎の楽茶碗と
 光悦の楽茶碗が飾られていた。 

 どちらも驚くほどの名品だった。
 利休を含めたあまたの才人により、
 現在に続く日本文化・美術が形作られたのだと思った。
 
 日本人は奢ってはいけないと思う。
 私たちは確かに素晴らしい文化を持っている。
 そのことをもっと知った方がいいし、
 誇りに思うべきだと思う。

 しかし、かつて詩人の高橋睦夫氏が述べていたことだが
 日本人は外への憧れを持つことで成長してきたのだと。
 それは、これからもそうあるべきであると。

 利休とその弟子にあたる織部は
 ともに主君の怒りを買い、自刃して果てている。
 彼らは自らの美学に殉じたように思われる。

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