2010年3月23日火曜日

耳をすませば

 一昔前は、食品に賞味期限など記載されてなかった。
 だから怪しい食品でも、目で見て匂いを嗅ぎ、
 それでも分からない時は、食べてみて判断した。
 今でも基本的には同じだけど。

 ほぼ毎日、職場のある新宿へ向かう。
 ホームレスの人を横目で見ながら通勤する。
 いつも思う、もしホームレスになったら生活できるかなと。

 でも人は望んでホームレスになる訳ではない。
 だれも路上で生活が出来るかどうか考えてなる訳ではない。
 路上で、ただ必死に生きているだけだろう。

 雑誌「ビッグイシュージャパン」を愛読している。
 最初はホームレスの人が販売しているので、好奇心で買った。
 しだいに、内容にどんどん惹かれていった。
 大マスコミが流している情報は、色んなしがらみで
 管理され過ぎた情報が多いと感じる。
 簡単に言えば、奥歯に物が挟まった言い方が多いのだ。

 最新号に音についての特集があった。
 平安時代に桜島の噴火の音を、
 京に居る人が聞いた記録があるそうだ。
 京都から鹿児島までおよそ600kmある。

 音を聞くことに限らず、
 昔の人は気配を感じる能力が高かったのだろう。
 雲や風や、鳥のさえずりや虫たちの行動など、
 自然の持つ様々な情報を感じて読み取り、
 変化する世界の在りようを想像できたのだろう。

 だからこそ日本語には
 オノマトペ「擬声語・擬音語」が多いのだろう。

 「春の海ひねもすのたりのたりかな」蕪村 

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