一昔前は、食品に賞味期限など記載されてなかった。
だから怪しい食品でも、目で見て匂いを嗅ぎ、
それでも分からない時は、食べてみて判断した。
今でも基本的には同じだけど。
ほぼ毎日、職場のある新宿へ向かう。
ホームレスの人を横目で見ながら通勤する。
いつも思う、もしホームレスになったら生活できるかなと。
でも人は望んでホームレスになる訳ではない。
だれも路上で生活が出来るかどうか考えてなる訳ではない。
路上で、ただ必死に生きているだけだろう。
雑誌「ビッグイシュージャパン」を愛読している。
最初はホームレスの人が販売しているので、好奇心で買った。
しだいに、内容にどんどん惹かれていった。
大マスコミが流している情報は、色んなしがらみで
管理され過ぎた情報が多いと感じる。
簡単に言えば、奥歯に物が挟まった言い方が多いのだ。
最新号に音についての特集があった。
平安時代に桜島の噴火の音を、
京に居る人が聞いた記録があるそうだ。
京都から鹿児島までおよそ600kmある。
音を聞くことに限らず、
昔の人は気配を感じる能力が高かったのだろう。
雲や風や、鳥のさえずりや虫たちの行動など、
自然の持つ様々な情報を感じて読み取り、
変化する世界の在りようを想像できたのだろう。
だからこそ日本語には
オノマトペ「擬声語・擬音語」が多いのだろう。
「春の海ひねもすのたりのたりかな」蕪村
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