2010年3月18日木曜日

顔のある月

 昔見た夢を童話風の物語にしてみようと思った。
 10年くらい前のことだ。
 構想を練りタイトルをつけてそのままにしてある。
 作品化の計画は今のところない。
 漱石の「夢十夜」みたいにしたかった。

 昔見た悪夢の幾つかは、
 今でもありありとその映像が浮かぶ。

 夜のスキー場の夢。
 大きな山のゲレンデを一人滑っている。
 ナイター照明が煌々と輝いている。
 ところが振り返ると照明は消え、
 底知れぬ闇が広がっている。

 あせって、スキーを走らせる。
 滑るスピードを追いかけるように、
 一つ一つ照明は消えていく。

 顔のある月の夢。
 尖った山の外側の道を歩いている。
 道の下は峻厳な崖になっている。
 山道を一人登っている。
 
 真っ暗な空にオレンジ色の月が現れる。
 バスケットボールより大きい月には、
 苦しそうな大人の男の顔があった。
 ギョロッとした目でこちらを睨んでいる。

 子どもの頃から世界にたった一人で、
 存在しているイメージがある。
 保育園の時、祖母と祖父と寝ていた。
 姉は両親と寝ていたのだろうか。
 一緒だった気もする。
 
 みんなが寝てしまって、一人起きていると、
 自分の肉体が宇宙に放り出されて、
 星々の合間に漂ってしまった気がした。
 僕は布団ごと宇宙空間に投げ出されていたのだ。

 月曜日に敬愛する先生と話す機会を持った。
 ヴィトゲンシュタインから、吉本隆明の話になり、
 やがて宮沢賢治の話になった。
 「よだかの星」を思い出して、
 先生と話している内に泣きそうになった。
 
 最後の場面、よだかが星になろうとして、
 東西南北全ての星々に頼むが断られる。
 力尽きて、よだかが堕ちていく彼の場面だ。

 おぼろげだが、宮沢賢治が童話において為し得たことを、
 自分の絵画の領域で出来ないだろうかと妄想した。

 「よだかの星はいつまでもいつまでも燃え続けました。
 いまでも燃えています。」
 

0 件のコメント:

コメントを投稿