2014年8月6日水曜日

朝日のような夕日をつれて

鴻上尚史の本、
「孤独と不安のレッスン」を読んだ。

手を取る前にちょっとだけ躊躇した。
齢55歳にもなって、この手の啓蒙書は恥ずかしいかなと。
でもちょっと読み始めたら、想像以上に面白かった。

「本物の孤独」と向かい合うことの重要性、
「前向きの不安」は自分を成長させるなど、
当たり前のことだけど、なるほどなと思った。

日本では『世間』が西洋の神のような存在であり、
日本ほど世間による『同調圧力』の強い国はない。
「同じような存在」であることを強いる文化だということだ。
この「同調圧力」が日本社会を、
息苦しいものにしていると、鴻上氏は書く。

ただ八百万の神が居て、
神仏混淆もこの国の文化の姿である。

西洋文化、特にキリスト教プロテスタントの持つ、
「神」⇔「個人」という関係性は、
強力な「垂直圧力」を持つ文化を生んだと考えている。
その点についての鴻上氏の考えが知りたかった。

17年ぶりの公演となる、
「朝日のような夕日をつれて」を観に、
新宿紀伊国屋ホールへ友人と出かけた。
受付の脇にはいつものように、
鴻上氏が立っていた。

仏劇作家ベケットの「ゴドーを待ちながら」
神なき時代の不条理を描いた物語らしい。
鴻上氏が「ごあいさつ」で書いているように、
ベケットの戯曲が「朝日のような夕日をつれて」
の下敷として存在している。
「孤独と不安」もこの芝居の
重要なテーマとなっている。

33年前の早稲田大学構内テントで旗揚げされた、
劇団第三舞台の「朝日のような夕日をつれて」を観ている。
メンバーは友人の大高以外入れ替わっている。

それでも今年の3月に見た、
ローリングストーンズのライブみたいに、
年輪を重ねた、作演出と役者、スタッフによって、
この度の「朝日」も素晴らしい舞台だった。

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