2014年3月22日土曜日

気まぐれ美術館

昔、銀座にあった「現代画廊」
美術評論家の州之内徹が画廊主だった。

確か一度だけ迷いこんだ記憶がある。
20代の頃だったと思う。
もしかしたら、州之内氏本人もそこに居たかもしれない。
でもぼくはちらっと作品を眺めて、
すぐにその場を立ち去ってしまった。

当時のぼくは抽象画の最先端の作品を求めていた。
もはや古典と呼んでもいいような
米国の抽象表現主義の作家の作品、
ジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマン、
マーク・ロスコらの作品を見られる機会は、
東京に居てもほとんどなかった。

ぼくが高校時代慣れ親しんでいた「長岡現代美術館」
あそこに匹敵する美術館さえ東京には無かったのである。
ごくたまに美術館ではなく、銀座の画廊で
それらやもっと新しい作品群に出会うことが出来た。

州之内氏の好みは、時流の抽象画には見向きもせず、
村山槐多や靉光など一世代よりもっと古い具象画や、
現代でも無名な、彼の独自の審美眼で見いだされた作家などが、
彼の画廊に飾られていた。

「よしいの絵は槐多に似ている」
画学生だった頃、友人の中島くんがそうい言った。

「槐多?」ぼくは答えに窮したが、
不満な表情を隠せなかったと思う。
ポロックやマチスに憧れていた当時のぼくには、、
明らかに嬉しくない評価だったからだ。
(今では身に余る評価だと思っている)

州之内氏が長年に渡って雑誌「芸術新潮」で連載していたのが、
「気まぐれ美術館」である。
35才で抽象画からプロントくんへ画題を変えた。
40を過ぎて読み始めた、「気まぐれ美術館」は
たちまちお気にi入りの美術評論集になった。

欲しい絵と感動する絵は違う。
感動しても欲しくない絵もたくさんある。
「モナリザ」を自宅には飾りたくない。
そういうことだ。

美術品を見ること、それを欲することの不思議さを
「気まぐれ美術館」から多くを学んだと思う。

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