このブログを読んで下さっている数少ない友人、知人。
時折、思いがけない感想をいただく。
曰く、「よしいさんって博識ね」と。
僕は学問がないため、知的コンプレックスが強い。
それが、このブログに反映されている。
「針小棒大」なのである。
よく知らないことを、知ったかするテクニック。
それが、あるのかも知れない。
浅田彰と島田雅彦の対談集「天使が通る」。
当時、ニューアカデミズムブームの先頭にいた浅田彰と、
気鋭の小説家島田雅彦が、ダンテの「神曲」を語っていた。
ダンテの「神曲」を僕は読んでいない。
(後日、漫画家永井豪のマンガ版は読んだ。)
作家ボルヘスの講演集「七つの夜に」を読んだら、
ボルヘスは「神曲」を世界文学の最高峰だと評していた。
浅田彰と島田雅彦は様々な角度から「神曲」を語る。
ダンテが生きていた時代背景、キリスト教神学、
様々な文化的背景等を、素晴らしいうんちくで語る語る。
感心しながら、ハタと気づいた。
仕込みをしているのだなと。(遅いな、気づくのが。)
当たり前のことだ。毎回の対談のテーマを決める。
打ち合わせと対談に必要な資料を調べる。
充分な調査と、もしかしたら対談直前の打ち合わせもあったりして
素晴らしい対談が出来る訳だ。
勿論、それにしても知識や思考の蓄積が必要なわけで、
仕込みを否定しているわけでなく、プロとして必要なことだろう。
舌を巻くような対談や記述には、「下調べ」が重要なのだ。
それを「下調べ」なしの「もの凄い博識」と錯覚させるのだ。
(錯覚してるのは、オレだけかなーーー)。
日曜日、ビートルズセッションの帰り、帰路の東村山駅の休憩所。
寒かったので、リュックの中の服を取り出して重ね着していた。
背後にラジオの音と、何やら話しかける声。
振り向くと、大きな紙袋に大量の荷物を持ったおっさんが居た。
僕に話しかけているのだ。最初は何を言っているのか判然としない。
そのうち「国分寺は暖かくていいよ・・。」とのたまう。
身なりは汚れていないが、何やらホームレス風だ。
話しかけるおっさんに適当に答える。そして考えた。
「オレを同じホームレスと思っているのかな」と。
紙袋は持っていなかったけど、まあ仲間に見えなくはない。
学生の時、ホームレスの人と話をしたことがある。
東京駅で、タバコをねだりに来た老人と話し、暫く一緒に座ってた。
道行く人は、怪訝な面持ちで僕と僕の友人を見つめてた。
当時、若いホームレスはいなかったからだ。
「こんな時、田舎の知り合いとかに会いたくないな・・・」そう思った。
東京は晩秋を迎えようとしている。
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