2009年11月24日火曜日

ほらふき男爵

 このブログを読んで下さっている数少ない友人、知人。
 時折、思いがけない感想をいただく。
 曰く、「よしいさんって博識ね」と。

 僕は学問がないため、知的コンプレックスが強い。
 それが、このブログに反映されている。
 「針小棒大」なのである。
 よく知らないことを、知ったかするテクニック。
 それが、あるのかも知れない。

 浅田彰と島田雅彦の対談集「天使が通る」。
 当時、ニューアカデミズムブームの先頭にいた浅田彰と、
 気鋭の小説家島田雅彦が、ダンテの「神曲」を語っていた。

 ダンテの「神曲」を僕は読んでいない。
 (後日、漫画家永井豪のマンガ版は読んだ。)
 作家ボルヘスの講演集「七つの夜に」を読んだら、
 ボルヘスは「神曲」を世界文学の最高峰だと評していた。

 浅田彰と島田雅彦は様々な角度から「神曲」を語る。
 ダンテが生きていた時代背景、キリスト教神学、
 様々な文化的背景等を、素晴らしいうんちくで語る語る。
 
 感心しながら、ハタと気づいた。
 仕込みをしているのだなと。(遅いな、気づくのが。)
 当たり前のことだ。毎回の対談のテーマを決める。
 打ち合わせと対談に必要な資料を調べる。
 充分な調査と、もしかしたら対談直前の打ち合わせもあったりして
 素晴らしい対談が出来る訳だ。

 勿論、それにしても知識や思考の蓄積が必要なわけで、
 仕込みを否定しているわけでなく、プロとして必要なことだろう。
 舌を巻くような対談や記述には、「下調べ」が重要なのだ。
 それを「下調べ」なしの「もの凄い博識」と錯覚させるのだ。
 (錯覚してるのは、オレだけかなーーー)。

 日曜日、ビートルズセッションの帰り、帰路の東村山駅の休憩所。
 寒かったので、リュックの中の服を取り出して重ね着していた。
 背後にラジオの音と、何やら話しかける声。
 振り向くと、大きな紙袋に大量の荷物を持ったおっさんが居た。
 僕に話しかけているのだ。最初は何を言っているのか判然としない。
 そのうち「国分寺は暖かくていいよ・・。」とのたまう。

 身なりは汚れていないが、何やらホームレス風だ。
 話しかけるおっさんに適当に答える。そして考えた。
 「オレを同じホームレスと思っているのかな」と。
 紙袋は持っていなかったけど、まあ仲間に見えなくはない。

 学生の時、ホームレスの人と話をしたことがある。
 東京駅で、タバコをねだりに来た老人と話し、暫く一緒に座ってた。
 道行く人は、怪訝な面持ちで僕と僕の友人を見つめてた。
 当時、若いホームレスはいなかったからだ。
 「こんな時、田舎の知り合いとかに会いたくないな・・・」そう思った。

 東京は晩秋を迎えようとしている。
 
 
 

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