2009年11月13日金曜日

うしろすがたのしぐれていくか

 山頭火と放哉を知ったのは偶然だった。
 雑誌「太陽」で特集をしていたのだ。
 もう20年以上前のことだ。

 高校生の時、本屋で「人間失格」を見つけて
 太宰にのめり込んだように、山頭火が好きになった。

 「どうしようもないわたしが歩いている」
 「何を求める風の中をゆく」
 「まっすぐな道でさみしい」
 「酔うてこほろぎと寝ていたよ」
 「壁をまともに何考えていた」 

 気に入った句を見つけてはノートに書いた。
 全4巻の句集も買った。
 古本屋で日記を見つけては読んだ。

 山頭火は放浪の人だった。
 「歩かない日はさみしい」と書いている。
 行乞のつらさを日記にしるしながら、歩き続けた。 

 「うしろすがたのしぐれていくか」
 山頭火には自分を見つめようとする眼差しがある。
 自嘲。自らを嗤っている。
 それを映像で映し出すように詠んでいる。
 愚かな自分を嗤いながら、それでも愛おしんでいる。

 山頭火は山を愛した。放哉が海を愛したように。
 人は山派と海派に分かれるようだ。
 僕は山派である。川派でもあるけれど。

 「ほろほろほろびゆくわたくしの秋」

 

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