山頭火と放哉を知ったのは偶然だった。
雑誌「太陽」で特集をしていたのだ。
もう20年以上前のことだ。
高校生の時、本屋で「人間失格」を見つけて
太宰にのめり込んだように、山頭火が好きになった。
「どうしようもないわたしが歩いている」
「何を求める風の中をゆく」
「まっすぐな道でさみしい」
「酔うてこほろぎと寝ていたよ」
「壁をまともに何考えていた」
気に入った句を見つけてはノートに書いた。
全4巻の句集も買った。
古本屋で日記を見つけては読んだ。
山頭火は放浪の人だった。
「歩かない日はさみしい」と書いている。
行乞のつらさを日記にしるしながら、歩き続けた。
「うしろすがたのしぐれていくか」
山頭火には自分を見つめようとする眼差しがある。
自嘲。自らを嗤っている。
それを映像で映し出すように詠んでいる。
愚かな自分を嗤いながら、それでも愛おしんでいる。
山頭火は山を愛した。放哉が海を愛したように。
人は山派と海派に分かれるようだ。
僕は山派である。川派でもあるけれど。
「ほろほろほろびゆくわたくしの秋」
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