2009年11月22日日曜日

気まぐれ美術館

 学生時代に友人の中島くんに言われた。
 「よしいの絵は村山塊多に似ているな」と。
 塊多は20代で早逝した、明治洋画界の鬼才である。

 当時、米国の抽象表現主義の画家ポロックやニューマンに憧れ、
 仏国の巨匠マチスに心酔していた僕には心外だった。
 よく考えれば、友人の僕を認めてくれて過大な褒め言葉として
 中島くんは言ってくれたのだ。
 (20年後に聞いたら「その通り」と言われました)

 芸術新潮で「気まぐれ美術館」を連載していた州之内徹。
 彼が愛した画家に塊多がいた。
 知り合いの先輩画家に「州之内はいいよ」と言われても
 若い時の自分は愚かで(今でも愚かに変わりはないが)
 近代日本の文化を創り上げた素晴らしい画家達を、
 まるで西洋人が日本美術を嘲るように、軽視していた。

 州之内が現代画廊を経営し、評論を書いた時も
 彼が取り上げた画家、美術家はあるいは時代遅れ、
 あるいは傍流、または無名に近い作家たった。

 例えば、僕の郷里新潟の画家佐藤哲三がそうだ。
 今では、彼の回顧展が美術館で開かれるようになって、
 世間でもその名を知る人が増えてきたが、
 州之内「気まぐれ」で取り上げた時はほとんど無名だった。

 だいぶ前テレビで、敏腕編集者のドキュメンタリーを
 やっていた。彼が手がける作家はみな売れると言うのだ。
 確かに凄い人だと感心した。
 しかし、自分が作家だったら担当になってほしくない。
 作品が作家のものなのか、編集者のものなのか解らなくなるからだ。
 勿論、編集の人の助言は重要で、
 そう言う意味では共同作業なのだろう。

 敬愛するポロックやニューマン、ロスコなどは
 自分を取り上げ、好意的な評論を書いてくれた
 クレメント・グリーンバーグに対しても
 対等以上の態度をはっきりと示していた。
 美術館や、画廊、顧客に対しても同様だ。
 彼らの態度の正しさは、彼らの作品が証明している。

 僕は今、塊多や、佐藤哲三のような優れた作品を
 生み出せたらと願っている。

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