自分の記憶が疑わしい。
まるで映画「ブレードランナー」みたいだ。
自分の過去の写真や、作品、文章など様々な痕跡。
それらを見ると、そんな過去を持っていると思う。
けれど、それらが「刷り込み」では無いと言う保証はない。
ブレードランナーの「レプリカント(人造人間)」。
彼らは数年の命にも関わらず、
刷り込まれ捏造された過去を「在った」ものと信じている。
彼らと私はどこがどう違うのか?
たまに、いや割合記憶が飛ぶことがある。
例えば昨日の一日。
「何をしたのか」「何を食べたか」「何を見たのか」
これらを子細に想い出そうすると想い出せない。
僕は緑内障で毎日の点眼が欠かせない。
しかし、10分前に点眼したのか確信が持てない。
仕方なく、点眼をしたらカレンダーに印をつけている。
一昨日、いつもように「百薬の長」で呑み、
キムちゃん、白石さんとスナック「京子」へ行った。
何を歌ったかは半分くらい覚えている。
店を出てキムちゃんと別れてから定かでない。
気が付いたら、着替えもしないで布団で寝ていた。
記憶違いも甚だしい。思いこみが酷い。
何が少年力だ。老人力バンザイ!
「過去」は存在せず、過去は想起しか出来ない。
「現在」も認識出来ない。「未来」全く存在しない。
「時間を哲学する」の著者、中島義道氏はそう書く。
時間を線的に空間的に捉えようとした
これまでの「時間概念」を批判する。
分かりもせず、存在しない悠久の時間を妄想する。
そして人生を儚いと嘆く。それは不幸だと言う。
「長い」とか「短い」とかの相対化を無意味化している。
もう僕らは「過去」や「未来」に
患わされなくてもいいのだと思った。
その哲学自体が中島氏の妄想に過ぎないとしても。
とどのつまり「自分」という幻想なのだろう。
「この私という病」。
「私が生きている時死は存在せず、
死が存在する時、私は存在しない。
ゆえに私と死は無関係である」
誰の言葉だったか、やはり思い出せない。
2010年12月25日土曜日
「世の中は・・・」 (深夜食堂より)
漫画「深夜食堂」のドラマ版。
DVDを知人に廻しているが大好評だ。
漫画には無いキャラクター。
それがオダギリジョーが演じる
着流しの世捨て人?だ。
彼の出演は短く、ドラマの流れと関係はない。
けれど彼が吐き出す箴言のような台詞。
「世の中は・・」で始まり、強烈な印象を残す。
ドラマ全編の彼の台詞を集めてみた。
「世の中は二人が良ければ吉野川。人生なめんなよ」
「世の中はさすらい迷って戻り川。人生なめんなよ」
「世の中は浮かれ沈んでナイル川。人生なめんなよ」
「世の中は下流中流有栖川。人生なめんなよ」
「世の中は付かず離れず隅田川。人生なめんなよ」
「世の中は酸いも甘いも長瀬川。お見事!」
こう書いて見てもドラマを見ていない人には
さっぱりピンと来ないだろう。
是非、「深夜食堂」を見てこのセリフを味わって下さい。
DVDを知人に廻しているが大好評だ。
漫画には無いキャラクター。
それがオダギリジョーが演じる
着流しの世捨て人?だ。
彼の出演は短く、ドラマの流れと関係はない。
けれど彼が吐き出す箴言のような台詞。
「世の中は・・」で始まり、強烈な印象を残す。
ドラマ全編の彼の台詞を集めてみた。
「世の中は二人が良ければ吉野川。人生なめんなよ」
「世の中はさすらい迷って戻り川。人生なめんなよ」
「世の中は浮かれ沈んでナイル川。人生なめんなよ」
「世の中は下流中流有栖川。人生なめんなよ」
「世の中は付かず離れず隅田川。人生なめんなよ」
「世の中は酸いも甘いも長瀬川。お見事!」
こう書いて見てもドラマを見ていない人には
さっぱりピンと来ないだろう。
是非、「深夜食堂」を見てこのセリフを味わって下さい。
2010年12月21日火曜日
ジーキル博士とハイド氏
トイレの夢。
子どもの頃、トイレの夢を見ると
次の朝はシーツに地図を描いていた。
昔の田舎ではトイレは離れにあり昼でも暗い。
しかもボッチャントイレだった。
だからトイレが怖かった。
このことは宮崎駿も書いており、
トイレが怖い処で無くなって
人間の想像力も変わったと述べていた。
アニメ「魔女の宅急便」を見ると、
西洋でもかつてトイレは離れというか
家の外に在ったことが分かる。
ずっと悪夢に悩まされてきたが、
最近は、悪夢を見るとこれは夢なんだと気付くようになった。
夢の中で夢に気付くと、厭な夢から醒めることが出来る。
でもそれが限りなく日常に近いと、夢と判断するのは難しい。
ある晩こんな夢を見た。
いつものように百薬の長で飲んでいた。
うっかりと寝てしまったが、起きるとまた同じ場所に居た。
夢の中で寝て、また起きて同じ場所に居たのは初めてだった。
こうなると夢と現実の区別は困難だ。
毎日同じ夢の続きを見ていたら、
それは完全にもう一つの日常になるだろう。
二つの日常は僕らを破滅に導くのだろうか?
それとも幸福になれるのだろうか?
ジーキル博士とハイド氏。
一人の人間の二つの人生は悪夢になるのだろうか?
子どもの頃、トイレの夢を見ると
次の朝はシーツに地図を描いていた。
昔の田舎ではトイレは離れにあり昼でも暗い。
しかもボッチャントイレだった。
だからトイレが怖かった。
このことは宮崎駿も書いており、
トイレが怖い処で無くなって
人間の想像力も変わったと述べていた。
アニメ「魔女の宅急便」を見ると、
西洋でもかつてトイレは離れというか
家の外に在ったことが分かる。
ずっと悪夢に悩まされてきたが、
最近は、悪夢を見るとこれは夢なんだと気付くようになった。
夢の中で夢に気付くと、厭な夢から醒めることが出来る。
でもそれが限りなく日常に近いと、夢と判断するのは難しい。
ある晩こんな夢を見た。
いつものように百薬の長で飲んでいた。
うっかりと寝てしまったが、起きるとまた同じ場所に居た。
夢の中で寝て、また起きて同じ場所に居たのは初めてだった。
こうなると夢と現実の区別は困難だ。
毎日同じ夢の続きを見ていたら、
それは完全にもう一つの日常になるだろう。
二つの日常は僕らを破滅に導くのだろうか?
それとも幸福になれるのだろうか?
ジーキル博士とハイド氏。
一人の人間の二つの人生は悪夢になるのだろうか?
2010年12月16日木曜日
捨てちまえ、脳
僕のアパートの壁には様々なものが飾ってある。
入口の暖簾にはポロック風のドリッピング。
ドアの脇には、ティッシュ箱に「あくまくんと天使」から
天使の彫刻の写真をカラーコピーして貼ってある。
靴箱の上には板で作ったキャットくん人形。
クリスマスのスノードーム、サンタや雪だるまの人形など。
壁面にはキャンバスやボードに描いた大小のプロントくん。
「ケーキ」を運ぶ天使の絵。
彫刻家、三沢厚彦の犬型カード。
青梅線と西武線の時刻表。
本棚には大小のフィギュア。
キカイダー、ハカイダーに鉄人28号。
鉄腕アトム、熊の帽子を被ったキューピーちゃん。
北欧のガラスのキノコ人形、アジアの金属製の狛犬。
個展「レクイエム」から
「怪獣と巨大ロボット」のカラーコピーの作品。
たむらしげる氏イラストのエコバック。
知人の俳句が書かれたいくつかの書。
「気らくにいこうぜ」のメモ。
そして友人で俳優の大高洋夫の芝居で貰ったチラシ。
白地に黒の明朝体で「捨てちまえ、脳」とだけ書かれている。
「捨てちまえ、脳」は「捨てちまえ、自意識」かな。
「捨てちまえ、この私という病」かな。
捨てられない自分に自分の欲深さを感じる。
今朝は霜で畑が真っ白だった。
富士山が朝陽に輝いていた。
入口の暖簾にはポロック風のドリッピング。
ドアの脇には、ティッシュ箱に「あくまくんと天使」から
天使の彫刻の写真をカラーコピーして貼ってある。
靴箱の上には板で作ったキャットくん人形。
クリスマスのスノードーム、サンタや雪だるまの人形など。
壁面にはキャンバスやボードに描いた大小のプロントくん。
「ケーキ」を運ぶ天使の絵。
彫刻家、三沢厚彦の犬型カード。
青梅線と西武線の時刻表。
本棚には大小のフィギュア。
キカイダー、ハカイダーに鉄人28号。
鉄腕アトム、熊の帽子を被ったキューピーちゃん。
北欧のガラスのキノコ人形、アジアの金属製の狛犬。
個展「レクイエム」から
「怪獣と巨大ロボット」のカラーコピーの作品。
たむらしげる氏イラストのエコバック。
知人の俳句が書かれたいくつかの書。
「気らくにいこうぜ」のメモ。
そして友人で俳優の大高洋夫の芝居で貰ったチラシ。
白地に黒の明朝体で「捨てちまえ、脳」とだけ書かれている。
「捨てちまえ、脳」は「捨てちまえ、自意識」かな。
「捨てちまえ、この私という病」かな。
捨てられない自分に自分の欲深さを感じる。
今朝は霜で畑が真っ白だった。
富士山が朝陽に輝いていた。
2010年12月13日月曜日
雨は似合わない
師走の空に雨が降った。
冷たい雨だ。
武蔵野の林はあっという間に冬枯れの相になった。
冬の朝は寒いが、冬景色は悪くない。
18日のビートルズセッションへ向けて
毎日のようにギターを弾き歌っている。
ライブじゃないのにこんなに練習するのは
久しぶりのことだ。
何だか少しだけ上手くなった気がする。
プロントくんの絵本。
次回の個展で一番最後に仕上げるつもりだった。
けれど2週間くらい前から、
急にアイデアが浮かんで試し描きが佳境を迎えている。
このまま仕上げらればいいのだけれど。
自分で仕上がりが楽しみな時が一番よい。
趣味と実益のテニスの腕が上がったようだ。
前の感覚が体力が戻って来たことと、
以前よりも、技術を客観的に捉えられるようになった。
僕は絵描きだけれど、音楽もテニスも好きだ。
でも歌が詠めて、ダンスが出来ることに憧れる。
たぶん一生出来ないと思うけれど、なおのこと憧れる。
けれども最も大切なことは、
呼吸をすること、飲むこと食べること。
見ること、聞くこと、そして眠ること。
冬だから、雨は似合わない。
冬だから、青空が美しい。
冷たい雨だ。
武蔵野の林はあっという間に冬枯れの相になった。
冬の朝は寒いが、冬景色は悪くない。
18日のビートルズセッションへ向けて
毎日のようにギターを弾き歌っている。
ライブじゃないのにこんなに練習するのは
久しぶりのことだ。
何だか少しだけ上手くなった気がする。
プロントくんの絵本。
次回の個展で一番最後に仕上げるつもりだった。
けれど2週間くらい前から、
急にアイデアが浮かんで試し描きが佳境を迎えている。
このまま仕上げらればいいのだけれど。
自分で仕上がりが楽しみな時が一番よい。
趣味と実益のテニスの腕が上がったようだ。
前の感覚が体力が戻って来たことと、
以前よりも、技術を客観的に捉えられるようになった。
僕は絵描きだけれど、音楽もテニスも好きだ。
でも歌が詠めて、ダンスが出来ることに憧れる。
たぶん一生出来ないと思うけれど、なおのこと憧れる。
けれども最も大切なことは、
呼吸をすること、飲むこと食べること。
見ること、聞くこと、そして眠ること。
冬だから、雨は似合わない。
冬だから、青空が美しい。
2010年12月11日土曜日
「少年力」宣言
未知なるものへの憧れと、好奇心を失わない心、
それを「少年力」と呼ぼう。
人は生きている限り歳を重ね老いる。
しかし「少年力」を胸に秘めた人間は
男女を問わず「青春」を生きる。
「少年力」が大切にするもの。
それは「遊び」だ。
ゲームやエンタティメントをすることも遊びだが、
何も特別な遊びを指すわけではない。
空や雲、花々やビルの谷間を眺めて何か感じる心、
日常の中に在るものと、頭の中に在るものを結びつけること。
それが「遊び」だ。
「少年力」は「大人」になることを拒否しない。
それどころか、大人になることを受け入れて、
大人の思考を持つこと。
これは「少年力」にとってプラスだ。
古いもの、古い文化を大切にしながら、
新しいものとの融合を夢見る。
純粋さと素朴さを持ちながら、
大胆さ、ある種の野蛮さを持つことを畏れない。
あらゆることに妥協するように見えながら、
「遊び」では譲らない。でも勝ち負けに拘らない。
合い言葉は「ナウいヤング」。
目標は「気らくに行こうぜ」。
理想は「酔生夢死」。違うか・・・。
そんな「少年力」を持った年寄りになるべく、
努力を重ねたい。でもがんばらないんだよ。
それを「少年力」と呼ぼう。
人は生きている限り歳を重ね老いる。
しかし「少年力」を胸に秘めた人間は
男女を問わず「青春」を生きる。
「少年力」が大切にするもの。
それは「遊び」だ。
ゲームやエンタティメントをすることも遊びだが、
何も特別な遊びを指すわけではない。
空や雲、花々やビルの谷間を眺めて何か感じる心、
日常の中に在るものと、頭の中に在るものを結びつけること。
それが「遊び」だ。
「少年力」は「大人」になることを拒否しない。
それどころか、大人になることを受け入れて、
大人の思考を持つこと。
これは「少年力」にとってプラスだ。
古いもの、古い文化を大切にしながら、
新しいものとの融合を夢見る。
純粋さと素朴さを持ちながら、
大胆さ、ある種の野蛮さを持つことを畏れない。
あらゆることに妥協するように見えながら、
「遊び」では譲らない。でも勝ち負けに拘らない。
合い言葉は「ナウいヤング」。
目標は「気らくに行こうぜ」。
理想は「酔生夢死」。違うか・・・。
そんな「少年力」を持った年寄りになるべく、
努力を重ねたい。でもがんばらないんだよ。
2010年12月6日月曜日
ヒロシです 2010
自虐ネタの芸人ヒロシが復活している。
「笑点」に出演したあと「笑っていいとも」に出演。
両方ともほとんど同じネタだったが、見飽きない。
「いいとも増刊号」で3回目を見た。
繰り返し見ると、味わいが増す。面白い。
「ヒロシです・・・・・。
視力はいいのに、未来が見えません・・・」。
「ヒロシです・・・・・。
3年前まで、ヒロシさん一生応援します。一生ラブですの
ファンレターがたくさん来ました・・・。
みんな、死んだのでしょうか?・・・・」。
「ヒロシです・・・・・。
とうとう、もうすぐ消えそうな
お笑いタレントランキングからも消えました・・・・・」。
「ヒロシです・・・・・。ヒロシです・・・・・。
ヒロシです・・・・・」。
同じネタで何度も面白いのは古典落語の世界である。
枕(話始め)もオチも同じでも面白い。
「笑点」の大喜利メンバーで活躍中の春風亭昇太。
彼の創作落語を芸術劇場と浅草演芸場で2回観た。
同じ落語で海外旅行中の日本人をテーマにした話だった。
この人売れるだろうなと思っていたら、
まもなく「笑点」のレギュラーになった。
「笑点」では、50歳を過ぎて結婚出来ない自分を
よくネタにしている。
人を攻撃するネタは瞬発力はあっても長続きしない。
自分を馬鹿だなあというネタは人を安心させる。
ああ、そうか馬鹿なのはオレだけじゃないんだと。
「フーテンの寅さん」があれだけ国民的人気を博したのも
自分を尊大に見せない、むしろ自嘲する、
そんな処にあったのではないか。
自虐ネタも高じると卑屈になる。
卑屈には恨みなどの負の感情が伴うが、
自分を笑うことで人を楽しませた時、
それはある種の客観性を有するようになると思う。
名前が同じ「ヒロシ」ということもあるが、
芸人「ヒロシ」の復活は嬉しい。
「うしろすがたのしぐれていくか」山頭火
山頭火は究極の自嘲俳人であると思う。
「笑点」に出演したあと「笑っていいとも」に出演。
両方ともほとんど同じネタだったが、見飽きない。
「いいとも増刊号」で3回目を見た。
繰り返し見ると、味わいが増す。面白い。
「ヒロシです・・・・・。
視力はいいのに、未来が見えません・・・」。
「ヒロシです・・・・・。
3年前まで、ヒロシさん一生応援します。一生ラブですの
ファンレターがたくさん来ました・・・。
みんな、死んだのでしょうか?・・・・」。
「ヒロシです・・・・・。
とうとう、もうすぐ消えそうな
お笑いタレントランキングからも消えました・・・・・」。
「ヒロシです・・・・・。ヒロシです・・・・・。
ヒロシです・・・・・」。
同じネタで何度も面白いのは古典落語の世界である。
枕(話始め)もオチも同じでも面白い。
「笑点」の大喜利メンバーで活躍中の春風亭昇太。
彼の創作落語を芸術劇場と浅草演芸場で2回観た。
同じ落語で海外旅行中の日本人をテーマにした話だった。
この人売れるだろうなと思っていたら、
まもなく「笑点」のレギュラーになった。
「笑点」では、50歳を過ぎて結婚出来ない自分を
よくネタにしている。
人を攻撃するネタは瞬発力はあっても長続きしない。
自分を馬鹿だなあというネタは人を安心させる。
ああ、そうか馬鹿なのはオレだけじゃないんだと。
「フーテンの寅さん」があれだけ国民的人気を博したのも
自分を尊大に見せない、むしろ自嘲する、
そんな処にあったのではないか。
自虐ネタも高じると卑屈になる。
卑屈には恨みなどの負の感情が伴うが、
自分を笑うことで人を楽しませた時、
それはある種の客観性を有するようになると思う。
名前が同じ「ヒロシ」ということもあるが、
芸人「ヒロシ」の復活は嬉しい。
「うしろすがたのしぐれていくか」山頭火
山頭火は究極の自嘲俳人であると思う。
2010年12月4日土曜日
ある日常 2
仕事を終えると真っ直ぐ駅に向かう。
西武新宿駅まで徒歩で約10分ちょっと。
以前は服飾店や雑貨など見て帰ることがあった。
今はほとんどない。
3年前から献血をしようと思っているが寄らない。
TSUTAYAで映画を借りようと思うが、
職場を出るとその気持ちが無くなっている。
人混みの中に居ると一刻も早くと足が駅へと向かう。
通るルートもほとんど同じ。
出来る限り裏道を歩く。人が少ないからだ。
たまに伊勢丹の前を通る。デスプレイが面白い。
でも伊勢丹をすぎれば裏通りへ入り込む。
駅に着くととりあえず急行に乗り込む。
席が無い時は次のを待つが、
なるべく早く新宿を立ち去ろうとする。
たまに来るには面白いが、毎日通うと辟易する。
電車で座ると、本を開く。
読みかけの「ジーキル博士とハイド氏」だ。
ラストのジーキル博士の遺稿が面白い。
巻末の解説にもあったが、フランケンシュタインや
ドラキュラ伯爵なども原作を読むと全く趣が違うとのこと。
同じ原作者スチーヴンソンの「宝島」も読もうかと考える。
本を読まず小さなノートに
絵や次の個展のアイディアや文章をかくことがある。
電車の中で思わぬインスピレーションを得ることがあるのだ。
週に一度か二度、途中の小川駅で下車する。
モツ焼きの店「百薬の長」に寄るためだ。
後はほとんどアパートのある羽村駅に直行する。
夕食を作る時は駅前の西友に寄る。
やはり駅前の餃子の満州で食べることもある。
先日は小松菜炒めセットを食べた。美味しかった。
歩いて5分でアパートに着く。
西武新宿駅まで徒歩で約10分ちょっと。
以前は服飾店や雑貨など見て帰ることがあった。
今はほとんどない。
3年前から献血をしようと思っているが寄らない。
TSUTAYAで映画を借りようと思うが、
職場を出るとその気持ちが無くなっている。
人混みの中に居ると一刻も早くと足が駅へと向かう。
通るルートもほとんど同じ。
出来る限り裏道を歩く。人が少ないからだ。
たまに伊勢丹の前を通る。デスプレイが面白い。
でも伊勢丹をすぎれば裏通りへ入り込む。
駅に着くととりあえず急行に乗り込む。
席が無い時は次のを待つが、
なるべく早く新宿を立ち去ろうとする。
たまに来るには面白いが、毎日通うと辟易する。
電車で座ると、本を開く。
読みかけの「ジーキル博士とハイド氏」だ。
ラストのジーキル博士の遺稿が面白い。
巻末の解説にもあったが、フランケンシュタインや
ドラキュラ伯爵なども原作を読むと全く趣が違うとのこと。
同じ原作者スチーヴンソンの「宝島」も読もうかと考える。
本を読まず小さなノートに
絵や次の個展のアイディアや文章をかくことがある。
電車の中で思わぬインスピレーションを得ることがあるのだ。
週に一度か二度、途中の小川駅で下車する。
モツ焼きの店「百薬の長」に寄るためだ。
後はほとんどアパートのある羽村駅に直行する。
夕食を作る時は駅前の西友に寄る。
やはり駅前の餃子の満州で食べることもある。
先日は小松菜炒めセットを食べた。美味しかった。
歩いて5分でアパートに着く。
2010年12月2日木曜日
ある日常
毎朝、目を覚ましてから家を出るまで
およそ75分。
寒い朝はエアコンにスイッチを入れる。
設定温度は18度。30分で切れるタイマーも入れる。
風呂に火を点けて、5分から10分テレビを見る。
テレビを見ないで洗い物をする時もある。
週に一、二度弁当を作る時は気合いを入れる。
弁当を作らなくても、朝ご飯の準備は毎朝する。
風呂に入って、身体や髪を洗い髭を剃る。
顔にクリームを塗り髪を乾かすまでが30分。
今日のうらないカウントダウンも毎日見てる。
でも髪を乾かしながらだから、全く頭に入らない。
朝ご飯は10分から15分で作って10分で食べる。
ご飯におかずが一、二品。味噌汁も時々作る。
テレビを見ているが、最近はNHKが多い。
ゴシップが少ないからだ。
教育テレビを見ることもある。
作家平野啓一郎のショパンの話は面白かった。
身支度をして、駅へ向かう。
ゴミ出しは基本的に前の晩に済ませておく。
駅に着いて、電車の中へ。
青梅線から、拝島で西武新宿線へ。
ここで座ってホッと一息。
メールもするが、読書が欠かせない。
拝島から玉川上水駅までは風景が綺麗なので、
新緑の春と、紅葉の頃は車外を眺める。
冬の富士山も毎日ように見とれてしまう。
今朝は雑誌ビッグイシューを読んだ。
一応全部見たのだが、巻頭インタビューのオノ・ヨーコ。
インタビューの英訳文(実は英語のインタビューなので原文)を読む。
15分も読まない内に睡魔が襲う。
読書は寝るためのきっかけなのか。
目が覚めると高田馬場駅だ。
およそ75分。
寒い朝はエアコンにスイッチを入れる。
設定温度は18度。30分で切れるタイマーも入れる。
風呂に火を点けて、5分から10分テレビを見る。
テレビを見ないで洗い物をする時もある。
週に一、二度弁当を作る時は気合いを入れる。
弁当を作らなくても、朝ご飯の準備は毎朝する。
風呂に入って、身体や髪を洗い髭を剃る。
顔にクリームを塗り髪を乾かすまでが30分。
今日のうらないカウントダウンも毎日見てる。
でも髪を乾かしながらだから、全く頭に入らない。
朝ご飯は10分から15分で作って10分で食べる。
ご飯におかずが一、二品。味噌汁も時々作る。
テレビを見ているが、最近はNHKが多い。
ゴシップが少ないからだ。
教育テレビを見ることもある。
作家平野啓一郎のショパンの話は面白かった。
身支度をして、駅へ向かう。
ゴミ出しは基本的に前の晩に済ませておく。
駅に着いて、電車の中へ。
青梅線から、拝島で西武新宿線へ。
ここで座ってホッと一息。
メールもするが、読書が欠かせない。
拝島から玉川上水駅までは風景が綺麗なので、
新緑の春と、紅葉の頃は車外を眺める。
冬の富士山も毎日ように見とれてしまう。
今朝は雑誌ビッグイシューを読んだ。
一応全部見たのだが、巻頭インタビューのオノ・ヨーコ。
インタビューの英訳文(実は英語のインタビューなので原文)を読む。
15分も読まない内に睡魔が襲う。
読書は寝るためのきっかけなのか。
目が覚めると高田馬場駅だ。
2010年12月1日水曜日
白い灯台
坂道を歩いていた。
左手は海。
砂浜ではなく崖になっている。
さほど険しくはないが、波が岩に砕けている。
空は抜けるように青く、
白い雲がふわりと浮かんでいた。
坂道を登り切った処には、白い灯台がある。
灯台を目指して歩いていた筈だが、
右手に見える花園に目を奪われている内に見えなくなった。
ここは何処なのか、にわかには解らない。
季節は夏で、どうやら北の島らしい。
樺太だろうか・・・。
そんなことを思案しながら、さらに先を行く。
まばらに木造平屋建ての建物が見える。
いずれも、北の地に相応しい造りだ。
一人きりだが寂しくはない。
誰かに出会う予感もない。
ただしんとした心持ちで歩いている。
不安も畏れもない、不思議な心持ち。
振り返ると、
さっき見えなくなった
白い灯台が見えた。
*夢シリーズ第3話
左手は海。
砂浜ではなく崖になっている。
さほど険しくはないが、波が岩に砕けている。
空は抜けるように青く、
白い雲がふわりと浮かんでいた。
坂道を登り切った処には、白い灯台がある。
灯台を目指して歩いていた筈だが、
右手に見える花園に目を奪われている内に見えなくなった。
ここは何処なのか、にわかには解らない。
季節は夏で、どうやら北の島らしい。
樺太だろうか・・・。
そんなことを思案しながら、さらに先を行く。
まばらに木造平屋建ての建物が見える。
いずれも、北の地に相応しい造りだ。
一人きりだが寂しくはない。
誰かに出会う予感もない。
ただしんとした心持ちで歩いている。
不安も畏れもない、不思議な心持ち。
振り返ると、
さっき見えなくなった
白い灯台が見えた。
*夢シリーズ第3話
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