2010年1月6日水曜日

雪国

 「追いかけて、追いかけて、
 追いかけて~ゆきぐに~」
 
 1月4日、午前10時。
 小屋根(一階上の屋根の事)の雪下ろしを開始する。
 思ったより積雪が多い。多いところで1m弱。
 大屋根はその半分弱。何故だろう?風か?分かった暖房だ。
 
 小屋根下の客間はほとんど使われてない。
 残りは縁側・廊下・トイレだから暖房はしていない。
 2階は三部屋とも寝室だから、夜の間パネルヒーターで暖房してる。
 たぶん積雪量の多少はその差ではないか。風など他の要因もあるが。

 だけど、問題は目の前の雪だ
 周りから掘る手順など思い出しながら、掘り進める。
 少し厚手のナイロン製コートの下はロングTシャツとTシャツのみ。
 これで充分。すぐに暑くなる。雪下ろしは全身運動だ。
 反対に足の裏は、雪の上で長靴だけだから、すごく冷える。
 手袋も完全防水じゃないと、濡れて冷たい。

 時々小休止する。もちろん屋根の上でだ。
 足がじんじんする。左手の手袋は濡れて冷たくなっている。
 あたりを見渡す。背後の山並みの木々が雪に覆われて美しい。
 雲の切れ間に青空が覗く。

 高校生の時のこと。
 豪雪が連日続いた。
 今は廃線となった魚沼線で隣町の来迎寺まで行く。
 そこからは信越線に乗って高校のある長岡まで通った。
 「信越線は雪の影響で1時間以上の遅れが出ています」。
 場内アナウンスが響く。

前日のこと。
 やはり雪による列車の遅れで、2時間遅れで学校に着いた。
 クラスの女子が近づいてきてこう言った。
 「吉井くんが来なかったら、学級閉鎖になったかもしれない」。
 ふざけんな。こちとら田舎から大変な思いして来てるんだ。
 そう言えたら良かった。でも言えなかった。
 
 前日の苦い思いが頭をよぎった。
 「帰ろう」。
 自宅の片貝まで雪道を1時間以上かけて歩いて帰った。
 魚沼線は朝夕計4本しか運行していない。

 「ただいま」。「学校はどうした?」。祖母が聞く。
 「信越線が止まってて行けなかった」半分ウソだ。
 「そうか・・・」。
 それが悲劇の始まりだった。
 (まだまだつづく)
 
 

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