2010年1月16日土曜日

夭折の天才

 友人のあいはらさんからのメールで、
 村山塊多展を知った。
 渋谷の松濤美術館を、たぶん10年振りで訪ねた。

 画学生だった頃、一番の友人中島くんに
 「よしいの絵は塊多に似ている」と言われた。
 当時、アンリ・マチスやジャクソン・ポロックに
 夢中だったボクは、心外だったが口には出さなかった。
 と、以前もブログに書いた。

 入場券が三百円ぽっきり。驚いた。
 祭日の午前中だったが、観客はちらほらで静かな空間。
 雑誌「芸術新潮」の塊多特集で知っていた作品が目白押し。

 中学生だった塊多が作った雑誌「強盗」のポスターや、
 年下の美少年に送った熱烈なラブレターまで展示されていた。
 それから、彼の詩。
 解説にもあったが、かれの芸術開眼はまず文学だったようだ。
 いくつもの詩が大きなパネルに掲示され、面白い。

 23歳で亡くなった塊多は、何よりも素描家だった。
 展覧会を見てそう感じた。殊に木炭画が凄まじい。
 人物や風景が、紙から手前に迫ってくる。
 水彩画もいい。人生を駆け足で登り詰めた画家には、
 スピード感のある制作が合っていたように思う。

 反対に「尿する僧」や「湖と女」など、代表作と言われる 
 油彩画は感心しなかった。躍動感が感じられない。
 油彩でも、風景や静物など習作が優れていると感じた。

 帰省中に両親と「何でも鑑定団」を見た。
 一目で長谷川利行の絵だなーと思った。
 そう言ってから、番組で長谷川利行の名が告げられると
 両親が感心した。「幾ららと思う?」と母。
 「本物ならば最低1千万円らな」と僕。
 果たして結果は・・・。
 「1800万円」。両親は益々感心したが、
 他の作家の真贋も値段もほとんど当たらない。
 長谷川利行は大好きな画家だから、何となく分かっただけだ。

 それにしても、塊多の23歳と関根正二の20歳は若い。
 酒井忠康著の「早世の天才画家」を読むと、
 近代日本の優れた画家の多くが早世だったとある。
 青木繁、萬鉄五郎、岸田劉生、中村つね、三岸好太郎。
 時代の中核をなす画家たちが、かくも早死にしている国は、
 世界でも珍しいのだそうだ。
 (つづく) 

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