2010年1月23日土曜日

意味という病

 禅の世界では、自分が現実だと信じていることも
 実は幻想なのだと言う。
 それどころか、自分というものも幻想だと言う。

 僕らは一日24時間自分と向き合ってる。
 (と思っている)。
 自分が考えたこと、感じたことを全て自分自身だと
 思いこんでいる。
 ぼくら使っている言葉も考えも、実は何処からか来ている。

 現代哲学では現象学や記号論が、主観と客観、
 存在と言葉の関係性について論じている。
 
ジョンがビートルズ時代に書いた名曲、
 「ストロベリーフィールズフォエヴァー」。
 「生きるとことは、目を閉じてしまえば簡単なことさ」と唄う。
 
 数年前、友人と出雲崎の良寛記念館を訪れた。
 そこには復元された五合庵が建てられていた。
 小さな粗末な庵に、良寛は20年も暮らした。
 
 雪に閉ざされた冬は、寒さと孤独との闘いだったろう。
 「独りで生まれ 独りで死に 
  独りで坐り 独りで思う
  そもそもの始め そは知られぬ
  いよいよの終わり そは知られぬ
  空の流れ 水の流れ 清しかれ 」
 亡くなる前にこんな詩を詠んでいる。

 自分と向き合うこと、自分と付き合うこと。
 自分と寄り添うこと、自分を労ること。
 自分に囚われないこと。

 僕は自分という妄想と意味という病に、
 いつも囚われている。
 ヘメレケソ。 

0 件のコメント:

コメントを投稿