2010年1月25日月曜日

北風と太陽

 雑誌氷河時代だと思う。
 この1年間に休刊・廃刊になった雑誌は
 幾つあるのだろうか。

 かつて雑誌は文化の中心的な役割を果たしていた。
 「右手に朝日ジャーナル、左手に平凡パンチ」
 (あるいは少年マガジン)と言われた時代があった。

 青年誌と呼ばれた雑誌も、
 総合雑誌としての文化を厚みを持たせようと工夫していた。
 大学生の時、古本屋さんで良く買っていた雑誌は
 美術関係の「美術手帳」「みずゑ」。
 青年誌の「月刊プレイボーイ」だった。

 「美術手帳」「みずゑ」は当時最新の現代美術、
 ことに米国のそれを時々見ることが出きた。
 評論も専門性が高かった。

 「月刊プレイボーイ」は、ピンナップには勿論
 心ときめかせたが、インタビュー他が良かった。

 ジョン・レノン、ボブ・ディラン、コッポラなどなど。
 かなりな長さで、それ故に本音が垣間見える感じがした。
 ルポタージュも優れていた。
 写真やイラストの質も高く、それらを切り抜いて
 コラージュ作品を作ったものだった。

 そして雑誌「太陽」。
 最高の文芸総合誌だった。
 もうこんな雑誌は現れないのではあるまいか。
 そんな風に感じる。

 山頭火や放哉を知ったのも、南方熊楠を知ったのも、
 この雑誌からだった。
 茶の湯の世界、良寛、魯山人のことも同様だ。

 インターネットの普及と、携帯電話の多機能化が
 雑誌離れに拍車を駆けたようだ。
 雑誌は電車の中で良く読まれていた。
 電車の中を見回しても、ほとんど居なくなった。
 新聞を読んでいる人も減った。

 日本のマスコミ、ジャーナリズムは大丈夫なのだろうか。
 心配になってくる。
 アメリカのマイケル・ムーアやノーム・チョムスキー
 のごとき歯に衣着せぬ論客がいない。

 それよりも、それらを心から支援する民衆の違いなのだろう。
 日本のマスコミを心配する前に、
 傍観者としてしか存在していない、我と我が身を懸念しよう。
 塊多のごとく、自分で雑誌を作るくらいの気概を持とう。
 でもとりあえず、明日からだな・・・・。

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