僕のライバルの一人がレオナルド・ダ・ヴィンチだと
以前書いた。
そのダ・ヴィンチがライバルと目していたのは誰か。
彼の手記によると、年下のミケランジェロやラファエロでなく、
さんざん悪口を言っていたボッティチェリだった。
背景の風景に心血を注いだダヴィンチは、
ボッティチェリの背景をけなした。
確かに奥行きと広がりを持ったダヴィンチのそれと比べると、
ボッティチェリの背景はまるで舞台のセットのようにも見える。
ただボッティェリの人物の優美な線描には、
流石のダヴィンチも脱帽だったようだ。
フランス国王に請われて、幸せな晩年を過ごしたダヴィンチ。
フィレンツェの支配者となった怪僧サヴォナローラに心酔し、
彼の処刑によって画家としての輝きを失ったボッティチェリ。
ボッティチェリの晩年、60歳からの記録はないらしい。
それでも65歳でなくなり、教会に埋葬されたと本には書いてある。
ボッティチェリが愛したフィレンツェで、
行政長官を務めたのち国を追われたダンテは、
他国で「神曲」を書き上げた。
国外追放の憂き目に遭わなければ、作家ボルヘスをして
「西洋文学の最高峰」と言わしめた「神曲」は
生まれなかったのだろう。
ボッティチェリは「神曲」のために挿絵を描いている。
ルネッサンス期の「花の都」はパリではなくフィレンツェだった。
小寒を過ぎた冬空の下、桜の芽は膨らんでいる。
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