2010年1月11日月曜日

花の都

 僕のライバルの一人がレオナルド・ダ・ヴィンチだと
 以前書いた。
 そのダ・ヴィンチがライバルと目していたのは誰か。

 彼の手記によると、年下のミケランジェロやラファエロでなく、
 さんざん悪口を言っていたボッティチェリだった。
 背景の風景に心血を注いだダヴィンチは、
 ボッティチェリの背景をけなした。
 
 確かに奥行きと広がりを持ったダヴィンチのそれと比べると、
 ボッティチェリの背景はまるで舞台のセットのようにも見える。
 ただボッティェリの人物の優美な線描には、
 流石のダヴィンチも脱帽だったようだ。

 フランス国王に請われて、幸せな晩年を過ごしたダヴィンチ。
 フィレンツェの支配者となった怪僧サヴォナローラに心酔し、
 彼の処刑によって画家としての輝きを失ったボッティチェリ。

 ボッティチェリの晩年、60歳からの記録はないらしい。
 それでも65歳でなくなり、教会に埋葬されたと本には書いてある。

 ボッティチェリが愛したフィレンツェで、
 行政長官を務めたのち国を追われたダンテは、
 他国で「神曲」を書き上げた。
 国外追放の憂き目に遭わなければ、作家ボルヘスをして
 「西洋文学の最高峰」と言わしめた「神曲」は
 生まれなかったのだろう。
 ボッティチェリは「神曲」のために挿絵を描いている。
 
 ルネッサンス期の「花の都」はパリではなくフィレンツェだった。
 小寒を過ぎた冬空の下、桜の芽は膨らんでいる。
  

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