2009年10月3日土曜日

所沢ビエンナーレ

 先月のことだが、所沢ビエンナーレ「引込線」を見た。

 会場は西武鉄道の旧車両場。標準的な体育館の数倍はある建物がいい。
 天井が高く、長い線路がそのまま残っている。
 ちょっとレトロな外観・内観は、「工場萌え」の人でなくてもある種の感慨に浸るはずだ。
 現代美術の著名な作家が多く出品している。

 マチエールという美術用語がある。仏語で普通は「絵肌」の意味である。
 例えば、ある絵画を指して「磁器のように滑らかなマチエール」などと言う。
 絵画は平面でありながら、豊かな表情を持った絵肌が必要とされる。
 立体や彫刻作品でも当然である。
 日本でも鎌倉時代の仏像に意図的なノミの彫り跡を残したものがあるし
 焼き物などを見ると、画一的なつるっとした肌合いを好む西洋と比べ東洋、
 殊に日本ほど、焼き物の肌合いに拘った文化はないだろうと思う。

 美術には官能性と精神性(宗教にも似た)の二つが、その表現の中に求められる
 と考えている。仏像がそうだろう。宗教的な崇高さの中にエロスが現されている。
 エロスとは「性」だけでなく「生」そのものだと思う。

 現代美術の多くが観念的に偏りすぎてしまっているのかもしれない。これは自戒も込めてである。

 「引込線」の中で、二つの作品に惹かれた。
 一つは200号くらいの油彩の抽象画。もう一つはタペストリーを用いたインスタレーション作品。
 いずれの作品としての明確なイメージや佇まいを持ちながら、表情豊かなマチエールを感じた。

 大リーグのイチローじゃないけど、一見凡庸に見える繰り返しが重要なのだ。
 職人的な技術の積み重ね、それだけが偉大な記録や表現へ至る道なのだろう。
 「歌を忘れたカナリヤ」は、再び歌を学ぶしかないのだ。

 「才能なんて、クズの積み重ねだ」ジョン・レノン

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