2009年10月21日水曜日

されど私の人生は

 「もう、どうでもいいのさ
  つまらないことは考えないで
  そこからの道を急ぐのさ
  それがもっとも肝心さ」

 斉藤哲夫の歌と出会ったのは、高校時代隣の高校の文化祭だった。
 フォーク研のメンバーが「悩み多き者よ」を演奏してたからだ。

 その後武田鉄矢がパーソナリティを務めていた「青春大通り」で
 「されど私の人生」「バイバイグッドバイサラバイ」などを聞き、
 とても好きになった。

 「変わる、変わる目の前が。変わってそれでおしまいさ。
  されど私の人生は、されど私の人生は。」

 確か司馬遼太郎が書いていたと思うが、「高度成長」は
 日本史において明治維新や敗戦よりも、大きな変化を
 もたらしたかも知れないと。

 僕が生まれた頃の新潟の田舎町片貝は、まだ牧歌的な雰囲気があった。
 明治以前から長く続いた農村と言う共同体の性格を持っていた。
 フォークやニューミュージックで言うとかぐや姫の「ひとりきり」
 やガロの「美しすぎて」で美化され、賛美された世界。
 スピッツの「夢じゃない」もそんな世界への憧憬が表されていると思う。

 未開(失礼な言い方ではある)の世界の人たちが近代文明を拒否
 しているのは、必要がないからだろう。もしも彼らの環境が残される
 ならばの前提でだが。
 進化と呼ばれるある変化は私たちの‘弱さ’のせいではないのか。
 時々そう思うのだ。
 
 宮本常一の「忘れられた日本人」を読むと、近代化する前の日本の姿が
 理解できる。そこには近代とは別の合理性を持った文化と思考が伺える。
 昔が良かったとか、そういう事ではない。自分が生きている世界や時代の
 基にある日本の姿を知っておいた方が良いのではないか。
 不勉強な自分にそう言いたい。

 いかん、今日もマジメになってしまった。年のせいかな。

 「これでいいのだ」赤塚不二夫

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