大学生の頃。
バイトでお金が貯まると、普段買えないモノを買った。
‘白もの’と言われたみすず書房の本だ。
当時、尊敬してやまなかった20世紀フランスの巨匠
アンリ・マチスの「画家のノート」。
5千円もした。でも嬉しかった。
「意識的に習得した事柄は、ある種の豊かさを持って
自分自身を無意識に表現することを、
可能にしてくれます。」
「わたしはあらゆる影響を怖れない」マチス
ライバルはと聞かれると、いや実は誰も聞きはしないのだが、
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と答えることにしている。
例外なく笑われる。実はホッとする。「やっぱり・・。」とか言われたらむしろ怖い。
じゃあ冗談なのかと、言われれば半ば本気なのである。あとはピカソとか。
キチ、いや誇大妄想狂なのだろう。
いや、間違いなくそうだと言える。
けれど、芸術家と言われるほとんどの人はそうなのではあるまいか。
だが、日本の画家、例えば俵屋宗達には敵わない気がしている。
これはレオナルドより宗達が上だとかそう言うわけではない。
同時に、中学校や高校時代の美術教師だった恩師にもまだまだ及ばないと思う。
けれど「オレは世界で5本の指に入る芸術家だ」とか言ったりする。
日本では5本の指に入らない。矛盾している。
これは、モツ焼き「百薬の長」で飲み友達の「なかちゃん」こと
中田さんの受け売りだ。
だけど、確かにそんな感じもしているのだ。
ピカソや、マチスには敵わなくても
ドンキホーテのように闘いたいのだ。
「君の愛を伴い、君の想像を伴って、君の孤独の状態へ赴け。
私を見よ。自らを超えて創造しようしようと欲し、
かくして滅びるものを、私は愛する」ニーチェ
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