2009年10月25日日曜日

中越地震

 一昨日のことだ。
 帰りの電車の中で、車内の液晶テレビを観ていた。
 「中越地震」から5年の記事を見た。
 
 その時、携帯が振動した。
 新潟の友人、正敏くんからのメールだった。
 同じ同級生の高野昭人くんが、片貝中学校で講演会を行い
 その後に同級生がお祝いに集まってると書いてあった。
 返事にお祝いを述べ、地震から5年たったなあと書いた。

 5年前の10月23日。土曜日だった。
 仕事の後で、行きつけの飲み屋「百薬の長」で飲んでた時に、
 グラッと来た。勘定をして、駅に向かう途中でメールが着た。
 同じ中学で東京在住の準子さんからだった。
 「中越で酷い地震が起きた。電話をしても通じない」と。
 実家に電話しても、友人の富士雄くん、孝雄くん正敏くんに電話しても
 通じない。大したことはないだろうと、タカを括っていたが
 次の日曜日に車で実家に帰ることにした。

 朝の五時に家を出た。出る前に富士雄くんに電話したら通じた。
 破損などの被害は酷くないが、電気・ガス・水道全部ストップだ、と。
 湯沢まで何事もなく、順調に行けると思われたが、湯沢で高速が不通
 になり、国道17号線も不通だった。カーナビはなく、不慣れな山道
 を迂回して何とか郷里小千谷市の隣、川口町までたどり着いた。

 それまで普通だった様子が一変。町の中心に行くと、家々の所々が壊れ、
 交通信号機が停電。さらに進むと、アスファルトの道の片側が陥没。
 これはただ事ではない。あと少し。先の橋を越えれば小千谷市だ。
 「橋は壊れて通れない。小千谷に行けるルートは分からない。
 トンネルも崩落などで、ほとんど不通だ」と、橋の手前で言われた。
 飲み物を買いに車を出た時、「ドン」と言う大きな音とともに縦揺れがきた。
 体験したことのない揺れだった。

 迂回して迂回して、昼過ぎに柏崎に入る。
 富士雄くんに電話して、一人で居た父の無事を知った。
 長岡から小千谷に向かうがことごとく不通。車の調子もおかしくなり、
 やむを得ず帰京。車を修理に出して、再び小千谷に行ったのは
 地震から4日たった26日火曜日だった。
 
 つづく(かもしれない)

0 件のコメント:

コメントを投稿