一昨日のことだ。
帰りの電車の中で、車内の液晶テレビを観ていた。
「中越地震」から5年の記事を見た。
その時、携帯が振動した。
新潟の友人、正敏くんからのメールだった。
同じ同級生の高野昭人くんが、片貝中学校で講演会を行い
その後に同級生がお祝いに集まってると書いてあった。
返事にお祝いを述べ、地震から5年たったなあと書いた。
5年前の10月23日。土曜日だった。
仕事の後で、行きつけの飲み屋「百薬の長」で飲んでた時に、
グラッと来た。勘定をして、駅に向かう途中でメールが着た。
同じ中学で東京在住の準子さんからだった。
「中越で酷い地震が起きた。電話をしても通じない」と。
実家に電話しても、友人の富士雄くん、孝雄くん正敏くんに電話しても
通じない。大したことはないだろうと、タカを括っていたが
次の日曜日に車で実家に帰ることにした。
朝の五時に家を出た。出る前に富士雄くんに電話したら通じた。
破損などの被害は酷くないが、電気・ガス・水道全部ストップだ、と。
湯沢まで何事もなく、順調に行けると思われたが、湯沢で高速が不通
になり、国道17号線も不通だった。カーナビはなく、不慣れな山道
を迂回して何とか郷里小千谷市の隣、川口町までたどり着いた。
それまで普通だった様子が一変。町の中心に行くと、家々の所々が壊れ、
交通信号機が停電。さらに進むと、アスファルトの道の片側が陥没。
これはただ事ではない。あと少し。先の橋を越えれば小千谷市だ。
「橋は壊れて通れない。小千谷に行けるルートは分からない。
トンネルも崩落などで、ほとんど不通だ」と、橋の手前で言われた。
飲み物を買いに車を出た時、「ドン」と言う大きな音とともに縦揺れがきた。
体験したことのない揺れだった。
迂回して迂回して、昼過ぎに柏崎に入る。
富士雄くんに電話して、一人で居た父の無事を知った。
長岡から小千谷に向かうがことごとく不通。車の調子もおかしくなり、
やむを得ず帰京。車を修理に出して、再び小千谷に行ったのは
地震から4日たった26日火曜日だった。
つづく(かもしれない)
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