「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
子規の「病床六尺を読み終えた。
私的な日記かと思ったら、初めから新聞「日本」に掲載する目的で書かれたとのこと。
結核のため、下半身が不自由で動くことがままならず、病床から離れられなかった、
子規のまさに晩年の手記である。
子規は35歳の誕生日の直前に亡くなった。彼の30代は病床の中にあった。
苦痛に身悶え、時折愚痴を吐きながら、彼の文章に迷いが感じられない。
「今度の春を迎えられだろうか。」そう思いながら、子規は句を歌を、絵画を、芸能、風俗を
食べ物を、そして文明を語るのだ。平明でありながら、言葉に強さがありイメージの輪郭が
とても明確に感じる。彼には死を前にした覚悟があり、残りの人生で何かを成し遂げようという、
強烈な自我と自信があった。
それが冒頭の有名な句を生み出したのだろう。
人は何時から晩年を意識し生きるのだろうか。
太宰の初めて出版された小説集のタイトルが「晩年」だった。
友人のI氏から個展前に頂いたCDがブラームスの「晩年」だった。
彼らは若くして自分の晩年を意識したのであろうか。
人生50年と言われた頃は、それを意識し易かったのだろうか。
40歳で亡くなったジョン・レノンは、ビートルズが解散してからが晩年だったのか。
まさか。でも「亡くなる前に創られた、アルバム「ダブルファンタジー」の頃の
ジョンを写真やインタビューで見ると晩年の老成した人のように感じられる。
たぶん、思いこみだろうけど・・。
時々、この人生でやりたいことはみんなやった、そんな傲慢な思いに囚われることがある。
もちろん、やりたいことはあるし、行って見たいところ、経験したいこと、食べたいもの
もある。けれど、若いときのようにそれらを渇望するような、激しさがなくなった
版画家作田富幸くんの個展に出掛けた。3月に僕が個展をやった松明堂ギャラリーだ。
作田くんの個展には、何度か出掛けている。近年、文化庁の給付でオランダに行ってから
作品が良くなったなと思った。その前の作品にも立派なものが勿論あったが。
今回の展観は、非常に緻密でシュールな銅版画作品に加えて、ボックスアートの作品や、
版画作品の奇妙な人物群を拡大して、立体的にインスタレーションてされた作品など面白かった。
矛盾するようだが、自分の残り時間を意識し始めて、逆にあまり無駄なことをしたくないなとも
思うようになった。本当にやりたいことをやりたいし、良いものを見たり、聞いたり、読んだり
したいと思うようになった。バラエティ番組も面白いのは見ているけれど。
「かたみとて何か残さむ春は花山ほととぎす秋はもみじば」良寛
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